最新の記事
カテゴリ
全体 焚き火小屋のこと しまね自然の学校 瀟洒なる森の中で Linux design 島根日日新聞 田舎に暮らす 百姓をする女たち 日々雑感&たわごと 野外体験産業研究会 心象をスケッチする 伝える 焚き火小屋に火を熾して nob-san Brötchen ロケットストーブ ノブヒェン窯 ノブフェン募金プロジェクト OLD LENS フォロー中のブログ
登攀工作員日記 フランス存在日記 山瀬山小屋2号奮闘記!と... 楽・遊・学・ビバ人生!! おとうさん! ごはんなに? 染めと織りのある生活を楽... 山の子 田園に豊かに暮らす わざわざのパン+ かるぺ・でぃえむ 向こうの谷に暮らしながら 光と影をおいかけて TSUNAMI募金2 赤... すなおに生きる 木陰のアムゼル2号庵 フランス Bons vi... FC2ブログなど
以前の記事
検索
その他のジャンル
ファン
記事ランキング
ブログジャンル
画像一覧
|
もしかすると多くの人が、こうした風景にこころ安らぎ癒されるものを感じるのだろうか。そして、連鎖するものは、故郷の美しい秋や豊かな田舎の暮らしなど…。 確かにそうだ。感じるべきは、ともすれば千年。すくなくとも数百年ものあいだ、この地の人々がここに生きるに、その暮らしのために粛々と紡いできた風景だ。そして、そうしたものが見苦しいわけなどあろうはずもない。 しかし、どうなのだろう。この風景は、本当に、ただただ美しいだけなのだろうか。 じつは、この美しい田園の風景には、それを感じる目を持てば、幾つかの悲しい事実があからさまなのだ。そして、それはたぶん、北海道以外のこの国のすべての農山村が、現在その環境との関わりにかかえる大きな課題でもある。 その風土の本来的な植生などお構いなしに限界を越えた急斜面まで植林された杉や桧。そして、その価値が見失われ、手入れもされず放置され、ある意味環境破壊というレベルに繁殖する孟宗竹。 さらに、そういう人間の無分別が作り出した状況に大きな課題となってきた鳥獣被害の中に、意識されなければならない「蘖(ひこばえ)」のこと。 しかし、当該地域にとっては「死活問題」とも言うべきこれらの課題も、農山村に暮らさなければまったく見えないのだろう。ときに、少ない予算の中、人々の暮らしの保全に懸命な地域行政の鳥獣対策の結果に「可哀想」などという無知とおろかが大手を振ってまかり通る。 あげく、いたずらに「美しい田園風景…」などと、すべてが人ごとでもあるかのようだ。 しかし、知らなければなす術がないのも、また確か…。それが政治家や有識者、もしくは学識経験者などと言われる人々であっても同じことなのだ。つまりは、気付いた者が出来るところから 動き始めるしかないようだ。 薪を焚いてパンを焼く。これはなんの変哲もなく当たり前のことだろう。では、その燃料を農山村の大きな課題の一つになっている孟宗竹に変えて見たらどうなるのだ。 そして、その「パンを焼く」ということが、そういう地域社会に暮らす人々の「我家レベル」のことであるならだ。 我が家の山の孟宗竹が、我が家の暮らしのための「燃料」と言う資源に変わるのではないのか。 島津家古文書「仙巌別館江南記」によれば、孟宗竹は、元文元年(1736)薩摩藩第21代藩主島津吉貴公が、中国原産の「孟宗竹」を食料として(つまり、筍)、当時の琉球から取り寄せ薩摩に植えたものであると記されているそうだ。 つまり、「孟宗竹」は食料なのだ。これが変化する近代の暮らしの中で、その消費の対称から外れ、その価値が見失われたのだろう。また、竿をそのままにツールとして使った農業や漁協の環境でも、それらのすべてが金属や石油化学製品に切り替えられたのだ。 つまり、かつて我家レベルの消費の対象だったものがその価値を見失われ、そこに利益のない管理という課題が生まれてしまったのだ。この対策に、本来的なベストはなんだろう。 この課題は現在、地域行政どころか農山村の里山の保全。つまりは、国土の保全という観点から国を上げた課題になっている。 しかし、その対策のために莫大な予算がつぎ込まれる事業や研究に、これが本来的に「我家レベルの消費の対象だった」ことがどれほどに意識されているのだろうか。 だとすれば、二日に一度パンを焼けば、単純に計算しても一年間に四百本から七百本ほどの孟宗竹が燃料として消費出来ることになるではないか。 ちなみに、竹は、いわゆる薪とちがって、燃料への加工がじつに簡単だ。薪材ならチェーンソーを使ってカットしたり、大きな斧を振るってこれを割るなどの作業が不可欠だが、孟宗竹なら、せいぜい鉈と小さなノコギリが一丁あればすむ。 さらに、この竹の根元の太い部分は、これまでの細工と少し違う新しいクラフトの素材として捉えれば、スプーンやフォークやピッチャーなど、さまざまなものを作ることも可能なのだ。持続可能な社会を意識したヴァラキュラー・ベース・デザインと言うべきものが…。 つまり、これらを現在の山間部の直売所などのシステムに重ね合わせるだけでも、ここには「農山村ならではの新しい業の可能性」と捉えるべき状況が、二重構造にあるのだろう。 そんなことを意識しながら、孟宗竹を燃料に使って焼いた今日のシンプルなパン。折よく居合わせた知人が焼きたてのパンを割って、立ち昇る湯気と小麦の香りに狂喜していた。 美味しくて、心地よくて…。しかし、些細なというレベルの検証ではある。 だが、ここに、少なくとも難しいことなど一つもなく、すべてが農山村に暮らせば当たり前に可能なことなのだ。誰か、こころある人々に、孟宗竹を燃料に「鉄のパン焼き窯で我が家のパンを焼く」などということに興味を持ってもらえたらこの上もなく嬉しいのだが…。
by nature21-plus
| 2010-11-19 13:06
| 田舎に暮らす
|
ファン申請 |
||