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かつて、誰かが書いていた。我々は、自分の脳に入ることしか理解できない。学問が最終的に突き当たる壁は自分の脳である。著者は、この状態を指して「バカの壁」と表現する。知りたくないことは自主的に情報を遮断し、耳を貸さないというのも「バカの壁」の一種。
などと…。 しかし、それは良くないことなのか?。 「馬鹿」などという台詞は、大半の場合、誰かを侮辱して使うものだろうから、この場合の「壁」とは、つまり「侮辱されるべき状況」なのだろう。では、「知りたくないことは自主的に情報を遮断し、誰にも耳を貸さない」で、なにかに夢中になることは「誰かに、侮辱されるるほどに良くないこと」だということか。 本当だろうか?。 つまり、一段落したこの石積みの壁を前にして、そんなことを考えてみた。 なぜなら、この一ヶ月半ほどのあいだ、ぼくは、誰にも耳を貸さず、意識して「馬鹿」に徹してきたからだ。当然、理由は、この石積みの壁をどうしても完成させたかったからに他ならない。 「馬鹿の一念」とでも言うべきか。この壁を作ろうと考えたときに、そのためにもっとも大切なことは知識や技術について考えることではなくて、ただただそのモチベーションを維持することだと思えたのだ。 知識や技術など、失敗しながら学べば良い。そして、善意にあふれた人間関係とは、ときに主題そのものを脱線させることもありうるのだと考えるべきなのだ。 山から掘り出してきた石を荒う。モルタルやコンクリートを練ってその石を固める。この単純な作業の繰り返しを続けようとする意志こそが、まずはなににもまして必要なのだ。 この壁は、大勢の仲間や知人たちのさまざまな共同と支援があってここまで来れた。当然、それは否定しない。だがしかし、こうした作業を成功させるには、なにをさておいても、まずは「バカの壁」に捉えられるレベルの一念こそが必要なのだ。 そんなことを考えていたら、「バカの壁」とは、馬鹿呼ばわりするほどにけなすべきことなのかなと思えてきた。 ともあれ、馬鹿がバカになって造る壁。当初に予定したメインの壁の石積みは、ひとまず一段落して窓のまわりの処理と外部の補修を残すのみ。 しかし、いましばらく「馬鹿の一念」を押し通すつもり…。 なぜゆえに…?。 面白いからに決まってる。
by nature21-plus
| 2010-05-29 22:43
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