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仲間たちが、山から一つひとつ掘り出してきてくれた石を、丁寧に洗って泥を落とす。次は、すでに積んだ石とのバランスを考えながら、モルタルで固定するようにその石を置いていく。そして、これをなんどか繰り替えし、二列に並んだ石のあいだにコンクリートを練って流し込む。
この二十日あまり続けているのはそれだけのこと。そして、これまでに積んだ石の数は、そろそろ三百個ぐらいにはなるだろうか。これが、最近、じつに不思議。 手にした石をどこに置けば良いかが、「なんとなく解る!」とでも言えば良いのだろうか。 石に積み方は、大小さまざまに大きさの違う石を、壁の上にランダムに並べているだけ。当然、積み上がったラインは、常にでこぼこなのだ。つまり、これに手にした石が、壁の上のどのでこぼこにしっくり合うかが考えることもなくなんとなく解るのだ。 だけに、「あれか!これか…」などと石を選別する状況がまるでないし、さらに不思議なことに「使えない石」もまるで無い。 これが煉瓦などのように一定の規格のものを並べていくなら、これはむしろ当然のことであるのだろう。しかし、石は、大きさも違えば、そのかたちも一つとして同じものなどない。にもかかわらず、毎朝、狭い作業場に適当に持ち込む洗った石が、夕刻には一つ残らずきれいに無くなるのだ。 しかし、どこに置けば良いかがなんとなく解るようになったことは、作業する私がある程度熟練し、現場の状況が常に意識の中にあるからだと言えなくもない。だが、さほどにそうしたことを気にしているわけでも無いのに、毎朝、持ち込む石が、さながらジグソーパズルでも完成したあとでもあるかのように、毎日きれいに使い切れる理由が解らない。 そして、今日は、さらに面白いことがあった。メインの壁面の高さが明り取りの窓を予定するレベルまで達し、その窓まわりの処理に、古い瓦の釉薬を見せながらコバ立てして並べたら綺麗だろうななどと考えていた。 じつにここに不思議に嬉しい電話があったのだ。 「古い民家を壊すことになったのだが、古い瓦が大量に出るのだけど、要らないかね」と…。 ちなみに電話をくれた知人は、わたしがながく焚き火小屋をいじっていることは良く知っている。また、古い瓦が好きなことも…。 しかし、わたしがその窓のまわりに古い瓦が使えたらなどと考えていたのは、その知人からの電話の直前なのだ!。 グットタイミングと言うべきか!。それとも、これもなにかの不思議なのか?。
by nature21-plus
| 2010-04-29 23:58
| 焚き火小屋のこと
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