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あの熱い夏の「「うさぎの子って誰さ!」スペシャル」と名付けたキャンプの前ぐらいから、「しまね自然の学校」のような、ある種、特別なシステムが子どもたちの育ちの支援を担うことにすこし疑問を感じはじめていた。「育ち」とは、本来的に主体的なものでなければならないはずだ。それを支援するなど、傲慢以外の何ものでもないのではという疑問と。主人公の主体性を奪わない「支援」とは、いたずらに「子どもたちのために…」だけでは成り立たず、にもかかわらず、そうした意識が強い人であればあるほどその理解が難しいと感じていたからだ。
クライミングなどのアクティビティーの体験者などなら「お前がされたらどうなんだ!」の一言で理解できる「主体性」を奪われる悔しさや悲しさなど。これが「…してやらなければ!」という思いの強い人には、まるで通じない。「…してやらなければ!」などと思える程度のことなど「過去にあったことに基づく個人的なレベルのこと」でしかなくて、それが子どもたちが前にする課題に正しく合致とは限らない。また、大半の場合、それらは大きくずれているにもかかわらず…。 こうした認識のさきに…。かつて、自分の世代の育ちとは、日々の暮らしの中に母の足元にまとわりつくようにあったことだと思い至っていた。また、これに参加者のお母さんたちの「自然の学校に過ごすときの子どもたちのことがよく知りたい」という要望を入れて、当時、「ワンディ」という日帰りでの親子参加型のプログラムをはじめていた。 そして、このプログラムは、保護者には、その日常の家庭生活は見られない「仲間と群れる我が子」を感じさせ、スタッフにも、父や母との関わりに、参加する子どもたちのパーソナリティーを理解する機会となるなど益するものが多くあったようだ。だが、ここにわたしが解したものは、それらとは少し違って、やはり「育ち」とは、本来的に母や叔母や近隣の大人たちとの関係の中にこそあるという認識を強くしていた。じつは、このプログラムへの保護者の参加スタイルは、いわゆる「親子」での参加ではなくて「家族」としたのだ。つまり、一人の子どもの参加申し込みに、その父と母と幼い弟妹たちが一緒に参加するなどという状況が何組も生まれた。 この結果は、さながら小さな地域コミュニティーの「お祭り」にも似ていたのかも知れない。家族がいて、親しい友達がいて…。さらに、これに親しい友達の父や母は、さながら近所の親しいおじさんやおばさんなのだ。 そして、こうした状況に、子どもたちの健康な「育ち」を見れば、ここにあえて特別な支援のためのプログラムなど必要無いと思われた。それぞれが、さまざまに小さな冒険やいたずらを繰り返し…。しかも、それをよく見れば、子どもたちはその合間あいまに、父や母や親しい大人たちの視線に、自らの冒険やいたずらが「…して良いこと」か、それとも「叱られそうなこと」かを確認しつつ遊ぶのだ。 じつに主体的に、そして楽しそうにである。 つまり、こうした経験に理解したものを持って、あの夏のキャンプ・プログラムをデザインはずだった。当然、これに父や母を参加させることは出来ない。だが、せめて近所のおじさんやおばさんたちのポジションを理解するスタッフを厳選してである。だけに、あの「能面のような子どもたち」の存在に驚かされた。それまでに自分がまったく理解しなかった現代の子どもたちの育ちの環境の歪みを見せつけられた気がしたのだ。 振り返って考えれば、それまでの「しまね自然の学校」とは、つまり、都市の子どもたちの育ちの有り様だけに意識を向けていた。よもや、おじいさん、おばあさんたちとともに大家族で暮らす農山村の子どもたちが、過疎という地域社会の歪みの中にあれほどにひどい状況にあるとは、まったく予想しなかったのだ。 しかし、これは、考えれば必然と言うべきことであるのだろう。 過疎が進むとは、つまり地域の共同体の構造が壊れることである。この状況に子どもたちの育ちの環境だけ壊れないということなどあり得まい。しかも地域社会を構成していたポジティブなものが、さながら櫛の歯が抜けるように壊れていく環境に、じつは「我が家」のことはなかなかに近隣に伝わり難い。 ましてや、親子三代。ときに四代の大家族に、不健康な課題が生まれているなど誰が考えようか。しかし、「社会に一員としての倫理観を育むために」という観点からこれを眺めてみれば、その家の中心となる人物の影響があまりも大きい家族だけの関係には、確かにさまざまな課題が生まれて当然なことであるのだろう。 そして、その大きな課題の一つとして「能面のような子どもたち」は生まれたようだ。 しかし、この課題の存在に誰が気づくのだ。ことが「学び」に関わることなら公教育環境が気付き対処するだろう。だが、これはパーソナルなレベルの「育ち」のことなのだ。公教育環境がその異常に気付いても、わたしが不登校の子どものことなどに聞き知ったように「おかあさん、頑張って…」と、それが当然のことであるかのように、子どもたちの次の弱者である母たちにその責任が返されるのが当たり前であるのだろう。 だが、かつて女性たちを支えた「世間」というネットワークが破壊されつくした環境に、その母を支援するシステムはあるのだろうか。 こうした疑問が、あの夏の日に出会った「能面のような子どもたち」について、その育ちの環境と、その背景をなすさまざまな状況が気になった。そして、これを「しまね自然の学校」代表という立場から理解できる限りに調べ、解析を試みたのだ。つまり、ここに記したものがそのすべてである。そして、その結果は、単純に「子どもたちのこと」という枠組みに止まれば、とても理解できない複合的な状況にあった。 子どもたちの育ちの環境という観点から、現代社会のさまざまな有り様を理解してみれば、どうにも現代とは、いわゆる戦後の復興期の後遺症が、われわれの社会がこれまでに体験することがなかったレベルに最悪の状況にあるらしいと解することができるようだ。 そして、だとすればこの課題の解析には、まずは「戦後」以前を知ることに他なるまい。そう考えたのだが、運良くそれを知るに理想的な体験の機会を得た。つまり穴見の集落の老人たちとの出会いである。 穴見の老人たちの「しまね自然の学校」の子どもたちに向けられた善良とはなんだろうか。集落に過疎と高齢化が進み、これに伴ってコミニュティーを支える論理が純化され、そこに共有された経験知または暗黙知とでも言うべき論理に基づく結果であると言えるのではないだろうか。では、ここでいうその「経験知」とはなにか。 「 …宮本常一の「庶民の発見」には、終戦翌年、伊豆のある町で70歳余の老人から聞き取った伊勢参りについての記録がある。「「あのころまでは日にちはいくらかかってもよい時代で、気のあうた者同士で思うままに歩いてきた」・・・そのもう一時代まえにはみんな徒歩で伊勢までまいったのである。娘たちも嫁入りまでには半数が伊勢参りをしたであろうとのことであった。」 同じく宮本の「中国山地民俗探訪録」には、私達の隣町でかつて行われていた宮島参りについての聞き取りの記録がある。「男は20歳までに宮島参りをした。これが旅出の遠いものであった。6月17日の宮島の祭につけるように、四、五人で組を組んで村を出かけた。・・・女たちもトギを構えて参った。三坂峠にのぼると、これで石見も見納めだと涙をこぼしたものであるという。旅から戻ってくると坂迎えをした。迎えて戻って氏神で酒盛りをした。」 人々が安全に旅ができる環境が整ったのも、また伊勢参りはじめ地方からの参宮が本格的になったのも江戸時代に入ってからで、参宮は昭和のはじめまで各地で続いたらしい。また、参宮の費用を工面するため、多くの村で参宮講(村民による積み立て)が行われていた様である。 要は、私の暮らす町でも70~80年前までは、若者を1ヶ月近く旅に送り出す仕組みがあったらしい。… 」 この文章は、次世代のための新しい田舎暮らしを意識し、それを自ら実践し、体験として理解しようと、小さなお子さんを含むご家族で中国山地の美しい山あいの集落に移住。「向こうの谷に暮らしながら」とタイトルするブログを綴られる「向こうの谷ピテクス」さんの「旅する若者達」から引用させていただいた。ここに向こうの谷ピテクスさんが記したことを要約すれば、彼の住まいする中国山地の小さな集落には、かつて、「参宮講(村民による積み立て)」という次世代の育成のためのシステムがあったということだろう。つまり、地域の次世代を担う子どもたちを「参宮」という「旅」をツールに、子どもたちの主体性にすべてを委ね育てるためのシステムがあったということだ。 ちなみに、穴見と、向こうの谷ピテクスさんの住まいする集落とは、車で、わずかに二十分程度の距離である。つまり、この向こうの谷ピテクスさんの文中に参宮の旅をした若者たちは、穴見の老人たちを育てた世代であると言えるだろう。つまり、その善意は、この地域に経験則として伝えられる次世代を思う教育力に基づくものだと言えるようだ。 そして、だとするなら、現在、中山間地域といわれる中国山地の農山村には、かつてこれほどに洗練された教育力があったと言えるだろう。つまり、穴見の善良な老人の「我がとこに来てくれる子どもらに、むさいもんは見せられんわね!」は、そのままに「我が子の育ちに最良こそを用意したい!」という言葉と同じ意味を持つものだ。また、それは「なんも! 村のことは女たちに任せておけば、間違いは無いもんだわね」と、「世間」という有益なネットワークを持つ地域の女性たちを信頼し、その女性たちの認識に基づいた次世代を育てようとする意識であるのだろう。 わたしは十代の半ばに、かつて農山村に当たり前にあったこうした文化に支えられた旅をした。いわゆる団塊の世代の直後を、このベビーブーマーの世代の対応に混乱する大人たちの視線を冷やかに眺めつつ…。無銭旅行にもちかい自転車の旅の途中に、「今夜はどこに泊まる?」。また、「風呂を沸かしたから…」と、幼児を連れた老婆がテントに迎えに来てくださった経験は数知れない。 では、かつて、農山村に当たり前にあったこの「次世代を育てる力」は、その後にどういう変化をしたのだろう。 こうした「力」に育まれた次世代は、都市に向かった。「向都離村」とは、誰の言葉か。そして、村を離れ、都市に向かうとはどういうことか。 「お前ら、棺桶の数まで競うんだ!」。 これは、子どもたちの育ちの支援に、断じて口にしてはならない言葉だったのではないだろうか。だが、ときにベビーブーマーの世代に間違えられたわたしは、これをよく耳にした。 そして、当時「金の卵」ともてはやされて、ぞくぞくと都市に送り込まれた、いまに「団塊の世代」と奇妙にもてはやされる彼らが、産業主義的価値観を持って、この国を経済的に復興させたのだとしたら、そのモチベーションの背景に、その「競うこと」はどのようにあったのだ。 なぜ、彼らは村を離れたのだ。つまり、村は「貧しい」とされたからだろう。なぜ、都市だったのだ。棺桶の数まで競うしかないと言われた彼らは、競い勝ち残る他に生きる道などないではないか。つまり、この世代の競いのエネルギーに、この国の経済的復興は支えられたのだ。そして、たぶん、これは確かなことだ。 だが、村を離れるとき。つまり、競いのために都市に向かったとき、彼らは、なにを捨てたのか。 「支え合うこと」ではないのか。また、「助け合うこと」ではないのか。 当たり前のことだろう。競いの環境には勝つことこそが正義だったはずだ。我と我身こそを大切に、家族のために、世のため人のためにも勝つことこそが正義だと、彼らこそは言われ続けて生きたのだ。 昭和四十年代の大企業の新人教育事業やその研修の環境を思い出してみれば良い。「根性」と書いた鉢巻をして、竹刀片手の教官が声を荒げ、がなりたてる状況に「優しさ」、「思いやり」、「助け合い」などなど、どこにあったのだ。 だとしたら、いわゆる「勝ち残った人々」とは誰なのだ!。命がけで団塊の世代を生き残った「悲しみの戦士」たちの我が身を思い、家族をおもい…。弱者は排除されるのだ。勝つことこそが正義だと徹底的に教え込まれ、磨き抜かれて洗練された競い戦う意志は、いまの時代に忽然と消えたと誰がいうのか。 「ネグレスト」という最悪はなぜに生まれた!。隣人を傷つけ殺すほどに傷つく子どもたちは、なぜ生まれたのだ!。 不登校や引きこもる子どもたちの問題は解決したのか!。また、そうした課題に苦しむ子育て世代の女性たちのこころ安らぐ居場所は、都市が依存するシステムの論理の中に本当にあるのか。 そして、都市に共同体の論理はあるか。まな板と包丁を持ち寄って、パタパタと地域社会を支え、この国の底辺を支えてきた女性たちの精神は都市に生きているか。その母の足元にまとわりつつ育つことを許す子どもたちの健全な育ちの場所はあるのだろうか。 ここに記したものは、わたしが島根の地方都市の子どもたちを対象に「しまね自然の学校」という体験教育時業体を組織し、十五年をこれに関わって理解した程度のことである。当然、個人的なレベルに調査できたことや、そのスケールはたかが知れている。だけに、これはわたしの独断と偏見に満ちた妄想にもちかいものであって欲しいと願わなくもない。つまり、その程度のものであるのだろう。 だけに、一度は、書くことをためらった。だが、十五年を独自のスタイルで子どもたちの育ちやそれを支える環境に付き合ってみれば、その歪みや混乱は、沈静するどころか日を追うごとに酷くなるかのようだ。また、この状況に傷付く子どもたちや、その背後に、ときに居場所さえ失う子育て世代の女性たちの苦悩が見え隠れする。 これに、「おじちゃん! なんで、お母さんは、ぼくを捨てたの。」と、あるキャンプの夕暮れに泣き出した少年を前に、ともに泣くしか出来なかったように、なす術がないのかと言う思いに、これを書く気にさせられた。繰り返すが、出来れば、これはわたしの独断と偏見に満ちた妄想にもちかいものであって欲しいと願わなくもない。だが、同時に、これが現代という社会の歪みの中に苦しむ子どもたちや、その若い母たちのささやかな支えに繋がってくれればこの上もなく嬉しいことだ。 正直を言えば、この途方もない課題を掲げながら、自分が十分に書けたのかどうか解らない。だけに、この拙文をここまで読み進めてくれた方がいるのだとしたら、ただただ、その方達に感謝する。そして、同時にその方達にお願いしたい。 あなたの隣にいる子どもたちと、その母たちにこそ懸命と真摯と大きな愛に満ちたあなたの手を差し伸べて欲しいと…。 しまね自然の学校 岡野正美
by nature21-plus
| 2010-03-18 22:09
| 伝える
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