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人口の7割が都市に集中する時代に、いわゆる中山間地域と呼ばれ過疎の進む農山村の子どもたちの育つ環境を解析することにどれほどの意味と意義があるのだろうか。たぶん、現在のわれわれの社会に、不登校や引きこもり、もしくは「ネグレスト」などという難解な課題を前に、子どもたちの育ちに懸命な大半の人々がそう感じるに違いない。
だが、そう考える人々に、わたしは聞いてみたい。あなたは、この過疎が進む農山村の子どもたちの育つ環境が、かつて、どのようにあって、それが過疎を生むプロセスとその背景にどのような変化をとげ、現在、どのような課題と状況があるかをご存知かと…。 十五年前に、わたしが幾人かの仲間たちと「しまね自然の学校」を立ち上げたのは、単純に、自身の生きる理想を求めて転居してきた島根の美しく豊かな暮らしを感じさせる農山村の風景に「子どもたちの遊ぶ姿がない」ことに、少しばかりの疑問と不安とを感じたからに他ならない。時代は、いわゆるバブルの最盛期。この俗悪にして歪んだ社会状況が、美しい山陰の風景にどのような影響を与えたのかなど知るわけもない。 だが、それがすこし寒く、野に遊ぶに適してるとは言い難い冬の日などなら、知らず。この地方に特有というほどに、生けるもののすべてが煌めく美しい春の日曜日などにも、その野山や、美しい田園の風景の中に子どもたちの遊ぶ姿が見られないのだ。なぜなのだ!。 つまり、この疑問を共有した大勢の仲間たちとともに「しまね自然の学校」を立ち上げた。そして、ここにもっとも大切な課題としたものは、「子どもたちの主体的な育ちの支援」である。ふるさと島根の美しく豊かな自然を舞台に、子どもたちに自らのルーツがどこにあって…。そのふるさとが、どれほどに素晴らしく、そこに自分がどのように育ったのかを、学ぶのではなくて体験として理解して欲しいと願ったからに他ならない。 必然として、そのフィールドは島根県全域。また、その比較体験の対象として、ときどき県外に出ることもある。春のアルプスの三千メートル級の山岳から、遠く、九州最南端の「開聞岳」の山頂までを…。子どもたちとともに歩いてきた。 だが、もっとも大切なのは、ふるさと島根の農山村風景の中。じつに東西に長く、その海岸線が三百キロほどもある島根には、当然、「「うさぎの子って誰さ!」スペシャル」の舞台とした出雲市大社町の深袋の海のような素晴らしく美しい自然環境も残されている。そして、そのスペシャル・ステージでの体験にも大きな意味や意義がある。だが、子どもたちの育ちに意味をなす「野遊び」が、本来的に親しい仲間との日常の中にあるべきことを意識すれば、ウィルダネスにしてスペシャルなあの美しい海は、あまりにもその冒険的リスクが多すぎる。だけに、あの海は、叶うなら、父や母や叔父や叔母など、近しい家人とともに静かなときを過ごす特別な場所であるべきだと考えたい。 穏やかな農山村の風景の中なら、子どもたちは、自分たちだけでハックルベリーフィンにも、、ときにコロボックルにも必ずやなれるに違いない。つまり、「しまね自然の学校」での体験のさきに、子どもたちは彼らだけでその追体験が出来るだろう。そして、そこにこそ、子どもたちの育ちのための野遊びの意義はあるはずだ。 われわれはこうした認識に沿って、中山間地域の農山村の風景こそを、島根の子どもたちの育ちの大切な支援環境として捉えてきた。当然、その背景には、関わった大勢のスタッフが、自らの子どもの頃の体験を振り返り、そこに思い返し、理解したものが優先された。何故なら、こうしたことに限らず、われわれが何事かを考えるとき、もっとも信頼に足りる確かなこととは、自らが「確かに体験したこと」委ねられるべきだと考えるからに他ならない。 そして、訪ねたエリアを行政区域に照らしてみれば、島根県東部のほぼ全域。また西部にしても石見の一部を除いて、ずいぶん広範囲を子どもたちとともに歩いてきた。必然として、現地に親しい人も出きるし、ときに地元の人たちよりも慣れ親しんだ風景も生まれてくる。 それが十五年。 つまり、これは、島根県内の中山間地域といわれる農山村の子どもたちの育ちのシーンを時系列を持って眺めてきたことになるようだ。また、その状況は、その地域の古老たちの子どもの頃の遊びの話を聞きながらであれば、五十年近くも前に遡れることになる。そして、現実は、その古老たちとの茶飲み話は、彼らの昔の遊びの話だけに止まらない。 「まっくろくろすけ出ておいで、まっくろくろすけ出ておいで…!」 子どもたちに「トトロ」を意識させるほどに鄙びたお宅に泊めていただいて…。子どもたちとともに聞かせていただいたお話は、旧掛合町の穴見の集落の五十年前の子どもたちの冬のあいだの寄宿舎での話であったりする。 竹下登元内閣総理大臣の出身地でもあるこの山峡の小さな町は、島根の出雲から斐伊川流域の比較的大きな支流にに沿って広島に抜ける街道筋。その積雪は島根県内でも比較的多い地域だ。竹下元首相の生家は、現在のこの町の中心から少し外れるレベル。だから、竹下元首相にその体験はないに違いない。 だが、そこから、さらに山間に入った穴見の集落。道路網が整備された現在なら車でわずかに10分程度のところでしかない。だが、いまに比べてその積雪量もはるかに多かった五十年ほど前。低学年レベルの子どもたちの冬のあいだの通学は、言葉に出来ないほどに困難を極めたのだろう。そこに、行政的な支援がどのようにあったのかは聞くことが出来なかったが、次世代の育ちに真摯だった集落の大人たちの知恵と懸命が、小学生レベルの「寄宿舎生活」という珍しい状況を生んだようだ。 「家に戻る日にはの。こまい子どもなら腰ぐらいまである雪の中を、おおきな子が連れての~! いやいや、えらかった(大変だった)わ~。 だがの! 寄宿舎での共同生活は、なんもかんも、面白かったわ。」 古老がその言葉のわりに嬉しく心地良い思い出として語る言葉を、いわゆる体験教育的な観点に捉えてみれば、じつにそこには共同・協調などというレベルに止まらす。仲間たちとの支え合いの先の「至高体験」や、「フルバリューコントラクト」というべき「関わる者すべての存在を認め合う状況」までが、さながら必然として感じられた。そして、ともすればそれらは、「貧しいに違いない…!」などという短絡的な先入観を持ってしまえば理解することが難しい、じつに質高い人間関係の理解のための豊かな体験の機会を意味している。 現代社会に経済を中心にすべてを捉える産業主義的価値観にみれば、確かにそこは「貧しかった」に違いない。だが、その豊かな自然環境に自律した尊厳をもってこの穴見に暮らした人々が、次世代の子どもたちのこころを育んだ文化とは、現代の最先端の体験教育概念に照らしてみればその新しい抽象概念などはるかに及ばないほどに高かったと言えるようだ。 La pauvrete est une richesse 〈貧乏は一つの富なり〉 二十世紀を代表する著名な建築家。 ル・コルビュジエの名言だ。この言葉について、インド人建築家、バルクリシュナ・ドーシは、「少ししか物をもたなければ、創造的になって いくということをコルはここで発見した。インドは、経済的には貧しいが、文化は豊かである。人々は乏しい物からいろいろなことを発見する。・・適応性に満ち、豊かで、コルを非常に惹きつけた」と語るのだ。 つまり、穴見の豊かな文化とは、ル・コルビュジエをして惹きつけられたと、ドーシの語る豊かさに他なるまい。La pauvrete est une richesse 〈貧乏は一つの富なり〉なのだ。 悲しいことに現在、穴見の集落には、小学校に通う年齢の子どもはいないのかも知れない。少なくとも、わたしが足繁く通った五年前にはいなかった。では、過疎と高齢化と、少子化は限界まで達してしまったここに、上に記したようにかつて当たり前にあった高度な子どもたちを育む力も消えてしまったのだろうか。 「さにあらず!」と言うべきだ。 「しまね自然の学校」が、夏のスペシャル・キャンプのバリエーションと、そのプログラムを、言うなれば地域振興のための野外産業を意識して、この穴見の集落を流れる「穴見川」をそのフィールドと捉えたことがある。現地の下見に入った六月の終わりのころ、過疎と高齢化が日を追うごとに加速する山峡の集落は、むせ返るように伸び放題の雑草の只中にあった。これが、現地にしまね自然の学校のコンセプトと意図するところを伝え、快く了解を得ることが出来て…。そのキャンプ当日に、子どもたちがバスを降りた風景は一変していた。集落の中の田や畑の畔はむろん、キャンプ予定地周辺の穴見川の土手までが、丁寧に草が刈られ、丁寧に清掃されたあったのだ。 「我がとこに来てくれる子どもらに、むさいもんは見せられんわね!」 これが、穴見の大人たちの真摯と、次世代を思う思いであるのだろう。じつにこの日、この年に近年にないレベルに記録的だった台風九号が来ていた。だが、「しまね自然の学校」の備品の類はすべて、風速四十mほどの山岳に対応可能なレベルのものをセットしている。また、じつは山間部の森の中ともいうべきキャンプサイトは、その森を揺する風の音ほどに不快でもないものだ。だけに、子どもらはむしろ、その台風こそを楽しんでいた。 夕食とその後の焚き火も一段落して、子どもたちが就寝の準備を終えたころ、タープを叩く雨足がすこし強くなってきただろうか。見れば風雨の森の闇の中に、ちらちらと懐中電灯の明かりが二つ。 「台風が、こちらに向かっている。集会所を開けたから、子どもらを避難させなさい」と…。 これに、子どもたち全員を起こして、雨具を着せた。すべての装備・持ち物はそのままにして、この善良な二人の老人に従わせ、暴風雨の中を、一キロほど歩いてご用意いただいた集会所まで…。 技術的なこと、また、われわれの経験値だけに照らして考えれば、むしろこの状況では移動しない方がリスクは少ない。では、なぜ、老人たちの善良に従ったのか。 「しまね自然の学校」の趣旨は「子どもたちこそが主人公」だからである。記録的な台風の来ているキャンプの夜に、善良な老人たちの忠告に従って、風雨の中を避難する体験など、ここにある質高いものを、どれほどのスキルを持ってしても体験教育事業としてプログラムすることなど出来ないからだ。また、集会所が開けられたということはなにを物語るのか。 繰り返す。つまり、草刈にしても、台風の中の子どもたちを案じることも、そのすべてがコミュニティーの論理と、倫理観の元に動いていることにこそ、われわれは注意するべきであるはずだからだ。しかも、それは「我が家の子」でも、「我がところの子」でもないのにだ。 そして、これこそが、かつて、この国のどこにでもあたりまえにあった「子どもたちを育てた社会力」であるのだろう。現代という時代が、個人の権利の主張やパーソナリティーをパラレルに評価するべきだという人々が、「古い」と、切り捨て見捨ててきたこの国を根底から支えてきた倫理観とも文化とも言えるものであるはずだ。共同の論理。協調の論理。そして、農山村の風景をそこでの人々の暮らしを守ってきた「結」の論理というべきものであるあるはずだ。 この大切なものは、なぜ切り捨てられたのか。子どもたちの育ちのシーンを含めて…。 ≪ 続く ≫
by nature21-plus
| 2010-03-12 23:10
| 伝える
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