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石灰岩。いわゆる建築資材として現代の都市環境にはなくてはならないコンクリートの材料になる白く硬い岩だ。しかし、大半の人には、鍾乳洞や石筍などといった言葉を使わなければ、あまり馴染みがないに違いない。
だが、流れる水に解け、さらにその先で、いわゆる地圧などの大きな力がかからなくとも再び硬化凝結する極めて珍しい特質が作り出す、この岩のある風景は、じつにさまざまなシーンに登場する。これに石灰岩地帯に固有の植生などにもふれれば、その類例は数えるにキリがないのだろう。 この岩が、登攀対象としてこの国のクライミング・シーンに本格的に意識されはじめたのは80年代に入ってからだろうか。いや、トレーニング環境として、小さなそれは全国にあったに違いない。他に詳しいわけもないが、俺が仲間たちとともに遊んだのは西上州の二子山だったり、武甲山周辺の谷筋の小さな岩場だった。だが、この辺でもずいぶん前から攀じられてはいたようだ。 登山という概念からこの時代を見れば、いわゆるヒマラヤ遠征などの「アルピニズム鉄の時代」が終焉・疲弊していたのだろう。「岩と雪」や「岳人」のような雑誌にも「ニューウェーブ」などという文字が見えはじめていた。 そして、これを国内の岩場の状況にみれば、70年代半ばのヨセミテなどの動きに触発された若い世代は、谷川岳一ノ倉沢など、草付きの多い谷の側壁から、明るく乾いた花崗岩の岩場などに、そのフィールドを求めて動き出していたのかも知れない。 また、この頃は、そうした動きを支援するかのように、そのスキルやツールも大きく変化した時代でもあった。つまり、言うなれば、クライミングという概念そのものが「登山の登頂のための手段」から、それ自体に内在する「ある種の極限性」が問い直され、サブカルチャーとも言うべきレベルの変化をとげるために大きく機能したのが「ラバーソール」という、新しい登攀スタイルのためのシューズの存在であったのかも知れない。 「フリクション」。つまり「摩擦」か!。ラバーソールは、それ以前の登攀が、底の硬い靴で岩場のポイントに立ったのに比べ、柔らかいゴムの底やサイドのフリクションを使って岩を攀じる新しいスキルとスタイルとを生み出した。 そして、必然、その対象となる岩場も変化する。つまり、フリクションのよく効く岩場に…。結果として、古いアルパインのスタイルでは、難易度が高すぎて登攀の対象になり得なかった岩場や、伊豆・城ヶ崎の岩場などのようにショートピッチだが難易度が高い岩場が、その新しいスタイルに内在するものが意識され、その対象に捉えられたのだ。 明星山P6南壁は、たぶん、国内でも最大級の石灰岩の岩場だろう。そして、この国のクライミングの歴史を考えれば、そこにこの時代がエポックな存在として記録されるべきルートが拓かれた岩場でもあるはずだ。 そして、クライミングなどに関わらない人々には、つまり松本清張の「万葉翡翠」の舞台であると言えば良いのかも知れない。 沼名川(ぬながわ)の底なる玉 求めて 得し玉かも 拾(ひり)ひて 得し玉かも 惜(あたら)しき君が 老ゆらく惜(を)しも 沼名川の深い川底にある玉。探し求めてやっと得た玉なのだ。拾い求めてやっと得た玉なのだ。この大切な玉のようにかけがえもなく尊い君。そのわが君が老いてゆかれるのは、なんとも切ない。 沼名川は新潟県西部を流れる現在の姫川と考えられるそうだ。この付近は硬玉の産地として知られる。この歌では記紀神代の巻「天の渟名井(ぬない)」「沼河比売(ぬなかはひめ)」等と結びつけられて聖なる玉を産する天上の川と見なしたものらしい。 昭和20年代、「翡翠はビルマ(ミヤンマー)から中国南部(華南)を経由してもたらされ我国では産しない」というのが学界の定説だったのだそうだ。これに松本清張がどういう推理と結論をだしたのかなど知らない。ただ、万葉集を研究するある助教授が、学生達にこの歌の解析をするシーンから始まるこの物語の舞台が、この明星山P6南壁の基部を洗うかのように流れる小滝川なのだ。 そして、そこは俺が生涯忘れることの出来ない「場所」でもある。 俊介に出会ったのは、二子山のロウソク岩だった。そのころ俺は、谷川岳などの草付きの壁に飽きていた。スケールがあって、またその歴史的価値は言うまでもない、。しかし、石灰岩のフリクションの心地よさに目覚めて以来、そうした暗い谷でのクライミングに倦んでいた。そして、結果、手近な西上州のヤブの中、叶山ビルディングフェースや二子山などによく遊んでいたのだ。 「こんちわー!」 驚いた!。誰かが、岩の基部に来たことは感じていた。しかし、この声は、俺の背後から聞こえたのだ。俺は、ここにくる者の大半が攀じる南側にザイルを下ろして仲間のビレーをしていた。北側は、山の斜面の上部になってその高さも7mほどしかないし、山側に倒れるように前傾して難易度が高く、いまだラインは整備されていないはずだった。だけに、そこを攀じってくる奴がいるなど考えもしなかった。しかも、登ってきたそいつは、ロープも付けていなければハーネスなども付けていない。 つまり、いまだラインもない前傾した岩場に、完全なフリーソロなのだ!。 「天気良いねー!。どっからきたのー!?。」 これに「東京」と答えたら、そいつはげらげら笑い出した。まあ、考えればそんなところとで岩を攀じって遊んでいる馬鹿は、大体東京から来ているに決まっている。つまり、それを笑っているのかと思ったら、違うという。 「だって、同じ靴はいてんじゃん!!。」 「ぼく、ズックを履いてクライミングしている奴にはじめてあったよ!。」 つまり、フリクションのムーブメントは、確かに意識されはじめていた!。だが、その後に流行するラバーソールは、未だ一般的なレベルには知られていなかったし、ゲレンデでもない岩場にそれを見ることもなかったのだ。にもかかわらず、じつはこのとき、そいつも俺も、ウレタンソールのマラソンシューズを履いていたのだ。 どこか斜に構えにようなところがあったが、おもしろい奴だった。また、話をしてみれば、そいつのバイトしていた都内のある登山用品店も、知人を介してよく知っていた。そして、当然、同じ時代に同じものを意識する者が親しくなるのに時間はかからない。 「あっ!ねえ、ねえ…。」 「ちょっと、頼みがあるんだけどさ!」 「明星、行かない!。」 ある日、仕事の帰りに立ち寄った彼のバイト先で、俊介がそう言った。じつを言えば、それなりに気があって親しくはしていたが、俺とあいつとは所属する山岳会が違って、それまで一緒に山に行くこともなく、当然、ザイルを組むこともなかったのだ。 「去年、ソロやってた先輩が死んでさ! ぼく、メモリアル・ラインを引こうと思うんだけど…。」 そういって、俊介が見せてくれたのが、幾枚かの明星山P6南壁の写真だった。 「でさ!南壁で、いま、ラインがなくて面白そうなのが、右ルンゼF1からその上のスカイラインなんだけど…!。」 「上のスカイラインは、たぶん5級ぐらいでなんとかなると思うんだけど、F1がね!まるっきりルーフの大ハングじゃん…。」 「で、ぼくが、そのハングのボルト人夫するからさ!。上、拓いてくれないかな…!。」 「年内に、なんとかしたくてさ!。」 俊介が拓きたいのは、先輩の鎮魂のためのメモリアルルートだ。だけに「初登攀者」の栄誉などどうでもいいのだ。だから、技術よりも体力的な難易度が高い右ルンゼF1の重労働にもちかいエイドラインを自分が引くから、これに続くスカイラインを俺に引いてくれというのだ。 瀬野田の部落が晩秋の夕刻の美しい残照の中にあった。右ルンゼ左岸の切り立った白い岩稜越しに見える風景は、フォッサマグナ北端のこの地域にならではの急峻な山容が連続する山並を背景にプレアルプのそれにも似て、なんとも奇妙なものを感じるほどに美しかった。 昨夜遅くに東京を立って、国道20号線をひたすら走り、松本を経由して大糸線沿いに姫川を下って、現地入り出来たのは、そろそろ昼も近いころ。春の続きのボルト打ちをするという俊介たちは、すぐにF1に取り付いた。だが俺たちは、明日の開拓に備えてルート・ファインディングと今夜の壁の中でのビバークに備えるのみだ。 ウォームアップを兼ねて左フェースをのんびり攀じり、ハーケン陣の予定地についたのは5時を少しまわっていた。 相棒の有田と、少し離れて、それぞれがなんとか寝れそうな小さなテラスにハンモックを張って、さあ、明日はどうするかと考えていたら、有田のトランシーバーに俊介の声。 「お二人さん、ごめんなさい!。」 「これから、ぼくたちは風呂に行って、そのまま糸魚川まで足を伸ばして美味しいものをたらふく食べてきます。」 「お二人さんは、そこで不味いジフィーズ米のビバーク食を寂しくいただいてください!。」 「でもねーー! ここから見ると、すっげー格好良いよー!!。」 「まるで、フランス映画みたいだよー!。」 日が落ちて薄暗くなりだした対岸を見れば、ちょうど正面の林道上に有田のレオーネが白くあった。そして、その側に、楽しそうに笑い転げる俊介と東が…。 これに有田が「馬鹿野郎ーー!!。」と返した声が小滝川に響き渡る。 笑いながらこれを見ていたのだが、彼らがレオーネに乗り込んで…。林道上の木立の影に入るのを見届けた。 「あうっ!」 有田の声にならない悲鳴にきびすを返した途端、林道から少し下の壁に、白いしろい閃光が走る。そして、二度目が光った直後に、途方もない大音響が届いてきた。 「落ちた!おちた、おちたーーーーー!。あいつら、落ちたーーー!!。」 「落ちた!あいつら…!。」 「しゅんーすーけーーー!!。ひーがーしーーー!。」 どうすれば良いんだ!。なにが起きたんだ!。なにが出きるんだ!。有田の繰り返す絶叫が谷全体にこだまする。 落ち着け!おちつけ!。しなければならないことはなんなのだ!。 まずは、ここから俺たちが確実の降りることだ。 運良く、ルート開拓を予定していたのだ。ボルトの類はたぶん十分にある。課題はなんだ!。右ルンゼがF1上部で南壁のスカイラインを大きく抉る大ハング帯だ!。これさえ無事に降りられれば、後、ヤバいのは上部岩壁からの落石だけだ。 パニクっている有田を張り倒した。なぜだろう。そうすることで、俺は、自分自身の混乱を沈めようとしたのかもしれない。 「落ち着け…!。」 「登攀具だけ持って、ここから降りる!用意しろ…。」 有田は、殴られたショックで、すこし落ち着いた!。後は、なんとしても無事に、未だ誰も降りたことのないだろう右ルンゼを降りることだ。 数分前の白い閃光も、大音響も、さながら夢でもあったかのように、漆黒の闇の中に静まりかえった谷の底まで降りるのだ…!。 確実に…!。 (続く)
by nature21-plus
| 2010-02-10 21:34
| 心象をスケッチする
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