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十年前に手に入れたIBMの「Thinkpad240」というノートパソコン。これを、日々のメインのマシンに使っている。当然、さまざまなパーツの交換や可能な限りのカスタマイズを施しつづけて、現状は、手にした当時のレベルにはない。
マザーボードなども、メーカーの指定を越えてメモリーアップした上級機種(240z)のものに入れ換えている。だけに、厳密には「十年前に購入したマシン」だとは言えないのかも知れない。だが、よく手に馴染んで、まるでお気に入りの「万年筆」などでもあるかのように使いつづけているマシンである。 しかし、これが最近、知人たちに驚きの種であるようだ。わたしにすれば、自らの使い勝手に合わせたカスタマイズはそのハード的なことに止まらず、OSまでも、Linuxのdebianをベースに、さらに低スペック向けにカスタマイズしたものに入れ替えている。だけに、これになんの不満があるわけもない。しかし、知人たちはこのマシンの年式と、そのスペックの低さに、ただただ唖然とするようである。 たしかに、カタログなどの公称値を比較すれば、現在の「高性能」といわれるマシンに比べようもない。CPUの処理速度などは、たぶん現在のそれの十分の一にも満たないだろう。 ただ、わたしのこのマシンの使い方は、原則的にテキストベースだ。つまり、ブログや新聞の原稿などを書くときは「mlterm」というTerminalの上で「vim」というeditorを使う。また、焚き火小屋でのイベントのときなど、これに小さなパワーアンプをセットして、いわゆる「ミュージック・サーバー」として使用することもあるのだが、そうしたときのソフトもテキスト・ベースの「moc」というものである。 ちなみにインターネット用のブラウザは、「w3m」という、これもTerminalの上で動くソフトがメインだ。そして、ときにメールなどに添付されてくる、いわゆるワードなどのバイナリファイルを見るために「Firefox」に「vimperator,Greasemonkey,Gspace,Open IT online,Adblock plus」という5つのAdd-onを入れて使っている。そして、知人たちとのコミニュケーションに欠かせないメーラーは「mutt」というソフトだ。 ちなみに、この「mutt」を使ってGmailを確認するのに要する時間は、そのパスワードの入力画面までが一秒ぐらい。さらに受信トレイのすべてのメールを読み込むまでに二秒ぐらいだ。つまり、テキスト・ベースのソフトであれば、この程度のことは「Thinkpad240z」レベルのスペックでも、これほどに処理速度が早いのだ。 つまり、わたしはこのマシンを使う作業の大半をTerminalの上で行っているのだ。そして、これは「Windows」を使う人なら、いわゆる「DOS」の上ですべての作業をしていることになるのだろう。ともあれ、そのすべてをテキスト・ベースに行うなら、コンピューターが、いまだ「CLI(キャラクター(コマンドライン)・ユーザーインターフェース)」に使われた時代のマシン・スペックで、いまでも十分に過ごせる状況にあるのだ。 だけに、わたしに、いたずらに高額な現代のハイスペックマシンなど必要ない。むしろ、手に馴染んだ10年前の「Thinkpad240」こそが、その生産性の邪魔をしないのだ。 道具とは、本来的に、その使用によってテーマとする課題の生産性を上げるためのものである。そして、同時に、その使用する人を、その道具を「使えるように育ててくれる」側面も持つはずだ。 そして、じつは、この認識は、その道具にかたちがあろうとなかろうと同じことである。つまり、形而上学的なシステムなどでも同じだということだ。また、そのさきに、われわれはその道具にこそ、生きるに大切な「新しい可能性を示唆される」ことが常であるはずなのだ。 だとすれば…!。 誰かが、自らを利するために作り出すムーブメントに翻弄され、未だ壊れてもいないマシンを買い換えることなど馬鹿げたことだ。 また、その道具に理解するべきものを、いわゆるナイフなどに例えてみるなら、じつは多機能である道具ほど、本来的に質の高い作業は出来ないものだ。 つまり、ノートパソコンが、われわれにとって、日々の暮らしに必要な道具であるなら、買い換えてのスペックを上げることよりも、不自由を感じるほどに使い込んで、その先に自らのスキルのレベルこそを上げる努力をするべきであるようだ。 ともあれ、「テキスト・ベース」に使うのであれば、この「Thinkpad240」のような古いマシンであっても、未だ十分に実用に耐えるのだ。
by nature21-plus
| 2009-12-01 00:06
| Linux
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