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「百姓をする女たち」
いまどき、こんな言葉を口にすれば、あらぬ方向からお叱りや苦言やらが怒涛の如くやって来るのかも知れない。さすがに、「差別用語ではないか!?。」とまでいかないまでも、女性蔑視に通じるぐらいの苦言はありそうだと覚悟しておこう。 先日、ある知人との会話に、そろそろ二年ちかくなる、わたしのある新聞のコラム執筆のことが話題になった。編集者に依頼されたテーマは、「しまね自然の学校」の焚き火小屋に見聞きすることや、そこに感じたこと考えたことというレベルなのだから、つまり「好きに書け!」ぐらいに理解している。 ありがたいことである。だけに、原則的に「田舎暮らし」や、「田園環境ならではの子どもたちの育ちの支援」ぐらいを自主的なテーマに、毎週木曜日の掲載に間に合うように書いてきた。 知人は、この大半を読んでいるのだそうだ。そして、最近、その木曜日のコラムを読み終える度に思うことがあるのだと…。 聞けば、「本当に書きたいことが他にあるのではないか!」と言う。 嬉しい一言だ!。 いわゆる「物書き」を気取るつもりはない。だが、若い時代に登山関係のさまざまな雑誌や出版物に、ときおり書いた拙文をもその数に入れれば、これまでにずいぶん多く書いてきたのかも知れない。新聞のコラムも、現在のそれとは違う新聞に過去に二度ほど連載した。 まあ、そのすべてが、登山やクライミングに関わることであるのだが…。 しかし、専門誌とは言え、登山など趣味レベルの雑誌を読んでくれる人々の感想などは、かつて自らもその読者であったことを考えれば概ね予想もできるものだ。 しかし、新聞のコラムは、すこし様子が違う。編集者の立場ならどうなのか解らないが、締切りに終われつつ、屋根裏部屋に引きこもるレベルの執筆者は「本当、読んでくれている人がいるのだろうか?」と、ときどき不安になるぐらいに読者の顔が見えないのだ。 だけに、読んでくれているだけでも嬉しいことなのだが、そのさきに、執筆するわたしの内面にあるものにまで意識を向けてくれる読者がいるなど、ただただ感謝するしかない。 そして、じつに、書きたいことが他にある!。 つまり、それが「百姓をする女たち」なのだ!。 しまね自然の学校の体験教育環境として機能させながら、同時に、ここ上津の豊かな田園環境に、「持続可能な社会の可能性」を考えたいと「焚き火小屋」を施設して、そろそろ五年目が近い。そして、嬉しいことに、これまでずいぶん多くの素敵なゲストがあった。 当然、その大半は、ここ焚き火小屋を拠点施設に、じつにさまざまな活動を展開する「「田園に豊かに暮らす」を考える女性の会」のメンバーの真摯な努力に負うところに依る。そして、「しかし、じつに…!。」と言うべきか。彼女たちの主催する、その「田園に豊かに暮らす」を考えるプログラムに参加してくる素敵なゲストのすべてが女性たちなのだ。 また、じつを言えば、いまだここを直接に訪れていないゲスト。つまり、インターネットなどを介して、穏やかに、しかし、確かにその独自なネットワークを広げつつある彼女たちの動きに関心を寄せる女性たち。じつにさまざまな立ち位置に、すでに素敵に農業をはじめている方なのだ。 コンピューター専門学校の技術指導の仕事のかたわら、農業に、自分の将来設計のステージを築こうと懸命な方だったり…。家人との関係もあって都市のマンションに暮らすのだが、田畑や里山を手に入れ、「山の子」という漫画を書くなど、独自のスタイルで環境保全の活動までをしながら、かつて、農業が複合的で豊かな文化環境を維持した時代に、当たり前にあった先人たちの知恵の収集までに懸命な女性だったりする。 そして、「「田園に豊かに暮らす」を考える女性の会」のメンバーの活動は、焚き火小屋を訪れるこうした女性たちの中心に、ある意味、「複合的文化環境としての農業」への新しいライフスタイルの提言と理解するべきものになってきているのだ。 数年前、あるコンサルタント業務をする団体の機関誌の編集者が、焚き火小屋を訪れた。しまね自然の学校の代表者としてのわたしに「島根の未来」に向けたメッセージを書けと、わざわざ東京から執筆依頼に来たのだ。 キャリアらしい三十代半ばの女性を中心に、その下請け業務を担当する出版関係の男性が二人。県の地域振興部からの紹介もあったりしたので断りきれず、焚き火小屋に接客の準備をして待っていた。 三人が到着し、焚き火小屋に入った女性の「わあ、きれい…!!。」という最初の一言は、それなりに想定していた。しかし、その女性のその後のセリフは、(彼女の年齢を考えれば)予想するどころか、その場にいた全員が絶句するしかなかったようだ。 女性は、冒頭の写真のそれに「とっても、きれいですけど、これなんですか!?」と言ったのだ。つまり、誰が見ても「玉ねぎ」でしかないものを、三十代半ばの、しかも後に聞けば小学校低学年の子どもまでいる主婦が解らないのだというのである。 これを「都市に暮らしているのだから…!」などと理解を示すべきだろうか。 対人関係上の論理に基づけば、確かにそれがベストであるのかもしれない。しかし、この女性の焚き火小屋の「玉ねぎ」への反応は、そのまま、この国の現在の食文化と農業環境への理解の事実の一端をもの語っているのだと言えるだろう。そして、そうした理解をすれば、同行した五十代の男性の「あれっ!知らないんですか!これ、最近メジャーな島根の新種の葡萄ですよ!。」という冗談も、あながち捨て置くべきではないのかも知れない。 しかし、これは、この耳で聞き、目にした確かな事実なのだ!。 さて、どちらに目を瞑るべきなのだろう。 まるで「最近の魚は切り身で泳いでいるんだ!」レベルの悪い冗談でもあるかのような都市の事実なのか!。それとも、この都市型社会の異様とも言うべき事実に、女性ならではの直感を持って「生きる」ことの本来的な有り様を感じ農業を指向する、一見すればガーデニングの先のお遊びにも見えるレベルの「百姓をする女たち」の「懸命」なのかということである。 しかし、これを、わずかに800字数の新聞のコラムに書くことは難しい!。 ※明日の記事に続くます。
by nature21-plus
| 2009-10-31 00:03
| 百姓をする女たち
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