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「…イタリア映画「自転車泥棒」をご記憶だろうか。ヴィットリオ・デ・シーカー監督が戦後イタリアの社会問題を描いたアカデミー賞作品。…」
その文章は、こんな書き出しではじまっていた。しかし、だからと言ってこれは、いわゆる映画の雑誌の中の話ではない。農山魚村の文化振興を趣旨とするある文化協会が発行する季刊誌に掲載された、「戦後60年」をテーマにした農山村振興に関わる小論文の冒頭の文章である。 屋根裏部屋の片隅に置き場所もなく積み上げた、少しばかりの書籍や雑誌の類を片付けようと手に取った幾冊かの雑誌の中にそれがあった。思い起こせば、しまね自然の学校の事業体としての第二段階に「農業環境」を意識し、現在の上津にその拠点を移した頃に関心を持って手にした専門誌であった。 冒頭の文章のあとには、映画「自転車泥棒」の簡単なあらすじと、主人公であるアントニオとその息子のブルーノの物語の中の倫理観に基づく位置についてかかれている。つまり、論旨と言うべきは、「戦後60年」と言うテーマを思えば当然であるのかもしれないが、いわゆる「団塊の世代」を、アントニオの息子ブルーノに捉えてその時代の中に解析しつつ、彼らが、今後のこの国の農業環境の復興にどのようにあるべきかをまとめている。 イタリア映画を、その比喩するものに使うぐらいの文学的センスによるのだろう。じつに淡々と読みやすい文章ではあった。 だが、その読後感に得るものなど何もなかった!。 どころか、いわゆる「団塊の世代」と言われたベビーブーマーたちが生きた激流とも言うべき時代を、ここまで綺麗にまとめてしまって良いのだろうかとさえ感じられた。そして、そうした疑問から、いま一度読み返して、著者が1945年生まれで、その激動の時代を、いわゆる「学者」として歩いた人物であるところに納得をするものを感じた。 ブルーノは、たしかに哀れむべき環境にあったかもしれない!。だが、彼は死んだろうか!?。アントニオもまた、絶望のさきに自らの命を断ったろうか!。 大都市のある踏切に仁王立ちになった少女がいた。「金の卵」ともて囃され、送り込まれた紡績工場の給料は一万二千円。ここから、郷里に5千円の仕送りをして…。そうした環境に小さな恋をして、そして貧しさ故にその恋に破れて…。 ある夕刻の都市の路地裏に白い上っ張りの少年が座り込む。こちらに気づいて振り返った彼が、怯えつつ、頬張っていたものは出前の途中のカツ丼だった。バレないように、一つの丼からカツを一切れづつ…。 冬の最中の住宅街の小さな建築現場に、泣きながら、素足で左官の壁土用の「泥」を踏んでいた少年は、その一年後に刑務所にいた。 たしかに彼らの責任の全てが、それぞれのパーソナリティーに帰するのかも知れない。 だけに、その後にバブルまでを生んだこの国の奇跡とも言うべき復興が、そうした彼らの犠牲の上にあるのだなどと、ことさら言葉などにするつもりはない。だが、それらがまるで記録されない状況があっても良いのだろうかと考えるのだ。 学究の場に居るだけの者が、この国の文化の何たるかを理解しうると言うのか!。彼らレベルに見えるものだけが、この国の事実であると誰が言うのか!。 なぜ故に、有るものの全てをその思惟するものの中に意識しないのだろう。 アントニオとその息子のブルーノを主人公に据え、その「団塊の世代」を語るこの物語には、もう一つ重大な欠陥があるようだ。つまり、それはアントニオを支え、息子を都市に送り出した母親たちの存在だ。 上津に拠点を移す少し前に、運良くと言うべきか。元島根大学教授で、戦後の山陰の農山村の女性史をまとめた溝上泰子の著書を知る機会に恵まれた。また、歩く民俗学者といわれた「宮本常一」の「女性史」などにもである。 また、現在「焚き火小屋」という「ヴァナキュラー・ベース・デザイン」とでも言うべき環境に、地元の子育て世代の女性たちとともに、新しい時代の農業環境を意識した様々な事業を共同している。そして、こうした状況に理解する女性たちの地域を支える力の有り様に、かつて、そのブルーノを送り出した女性たちが、どのような思いを持って生きたのかを具体的に理解する機会を得た。 ここに立てば、なぜにこの国の「戦後60年」という地域社会を徹底的に破壊しつづけた激動の時代を語るに、その中心的環境にただただ寡黙にあった女性たちの声を拾わないのかと思えるのだ。 当然、彼らの真摯な努力を知らないわけではない。ただ、いま少し、事実を事実として理解し、自らがそのすべてを知るわけではないことに真摯であって欲しいと思えるのだ。 なぜなら、ことは彼らの人生の結果を出すことではなくて、この国の未来に関わることだからである。 この混沌とカオスのままにこの国を次世代に渡すことなど出来ないはずだからだ!。
by nature21-plus
| 2009-10-22 00:00
| 日々雑感&たわごと
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