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「「エチュード」って、ピアノの練習曲のことですよね…!。」
「「晩夏のエチュード」って、なんか格好いいし…!。おれ、読ませてもらったんですけど、あれって走り屋の話じゃないっすか!。「暗闇の中に真っ赤に焼けたブレーキローターが美しくて…。」なんてすっげー格好いいし…!。で、「エチュードってなんだ~!?。」って調べたんですけど…!。「エチュード」って、ピアノの練習曲のことですよね…!。」 このブログに、一週間ほど前に書いた記事のことである。あるブログにアップされた、とても懐かしい風景が切り取られた写真に思い起こされた若い時代の記憶を、そのままに「晩夏のエチュード」と題して綴った小さな文章だ。 昨夜、久しぶりに焚き火小屋に顔を見せた若い友人が、「なぜ、走り屋の話に、ピアノの練習曲という意味を持つタイトルが付けられたのか!?。」と言うのである。 嬉しい質問だった。 じつを言えば、書き上げたとき「晩夏のエチュード」は、記事にアップした倍ほどの行数があった。それを何度か読みなおしているうちに、考えるところがあって、くどくどと書き連ねた部分をすべて削除する気になったのだ。 テーマとして意識したものは、われわれは「大切にしたい隣人との関係にこそ、苦しみ傷つき…。にもかかわらず、大切と思える隣人との関係に支えられに生きている。」のではないのか、ということだった。そして、とりわけ、その関わりになんらかの「自身を磨く行為が大きな意味を持つ」と思えたのだ。 たかが、深夜の山道の「暴走行為」に、なにを偉そうにと、どこからかお叱りの声が聞こえそうな気がしないでもない。だが、しかし、その若い世代の「暴走する行為」を、われわれの社会は、どれほどに真摯に見つめ考えてきたのだろう。 理解しようとする意識を持つことさえあったのだろうか。 スタインベック原作の映画「エデンの東」に、ジェームス・ディーン扮する主人公が、なにをテーマに葛藤するのかを、大人たちは、なぜ理解しようとしないのか…。アフターアイドリングするロードスターのバケットシートに、当時、そんなことをよく考えたのだ。 ある秋の終わりに、松江市近郊の町の保育園に「野遊びと子どもの育ち」といったテーマで話をしろと呼ばれたことがある。話すことのプロでもあるまいし、こうしたことに少しうんざりもしていたので、焚き火を使った幾つかの体験メニューを子どもたちのために用意してもらうことを条件にこの話を受けたのだが、ここにじつに楽しいことがあった。 当日は、数日続いた雨が予定の時間になって辛うじて上がって、「ぐるぐるパン」や、焚き火で炊いた「きのこご飯」に園児たちも大喜びだった。そして、当然、こういうときには、大勢の大人の存在に、すこしハイテンションになってしまう子どもたちが、かならず出てくるものだ。 年長さんぐらいの男の子が、雨上がりの園庭のすみに小高く積まれた泥の山を、なんと滑り台にして遊びだしたのだ。おどろいたり、面白がって囃したてる大人たちに、この子のハイテンションはどんどんエスカレートする。どうなるのかと見ていたら、ここに、茶髪というよりも金髪にちかい髪をポニーテールにしたこの子のお母さんが現れたのだが、彼女が、これにじつに素敵に反応した。 「馬鹿か!お前は…!!。」「そんな泥んこで、お前は、帰りどうすんの!!」「お母さんは、泥んこのお前なんか車に乗せないからね!!。お前なんか、一人で歩いて帰りな!!」と、いきなり怒鳴りとばしたのである。 当然、男の子は呆然と立ち尽くしていた。 この母の素敵は、どれほどの人に出来ようか。ちなみにこの日、幼稚園には二百人ちかい父兄が居たのだ。この満座の中で、自分の思いを誰はばかること無く正直に、我が子にぶつけることが出来る母は、どれほどいるのかということである。 凄いと思えた!。 一段落して、お遊戯室に百人ほどのお母さんたちが残って、わたしが話をさせていただく時間になったのだが、ここでさらに素敵なトラブルが起こってくれた。園長さんの紹介が終わるころに、件の金髪にちかい髪のお母さんを中心に同じような雰囲気の若いお母さんたちが数人、なんと会場の真ん中に車座になって雑談をはじめたのだ。 唖然としつつ、園長さんのほうを見たら、目があった彼女は固い表情のままに下を向いてしまった。 正直に言って、確かに唖然ともした。しかし、同時にこみ上げる笑いを止めることに苦労した。 用意していたレジュメを、まずは片付けることにした。会場にも、この日、話そうと考えていたことを文章にまとめたものが配られていたのだが、これも、あとで読んでくださいとしまっていただいた。そして、その上で、すべてを正直に話すことにしたのだ。 泥んこの男の子の話から、これにじつに素敵に反応した母の話を…!。そして、この会場の真ん中に車座になって、講師に背を向けている彼女たちに、自分がなにを感じてどういう思いの中にいるかを、すべて、正直に話した。 これで彼女たちは、全員、ちゃんとこちらを向いてくれた。 ここで話を止めた。しなければならないことは「フルバリューコントラクト」ということを、この日、会場にいたすべての人々に体験的に理解してもらうことだと考えたからである。 体験教育概念に「ゲームアクティビティー」という。もしくは「プロジェクト・アドベンチャー」とも…。つまり「隣人との関係の相互性」とでもいうべき難解な課題を、ゲームを通して「疑似体験」するプログラムである。会場から、ランダムに20名ほどの参加者をピックアップした。当然、件の彼女もである。「ヒューマン・ノット(人間知恵の輪)」や「ヒューマン・ウェーブ」などのメニューを30分ほど続けたのだが、結果は、予想どおりであった。 じつを言えば、意図するところがあってグループを二つにした。園長さんのグループと、件のお母さんを入れたグループを意図的につくったのだ。そして、結果は予想したとおりなのだ。 園長さんが入ったグループは、ゲームの中にプログラムされた課題を解決するに、参加者が、すべて園長さんの顔色に従おうとするのである。しかし、課題は、園長さんもふだん意識もしないような難題なのだ。結果、その解決の糸口さえ見出せず、最終的にフリーズするしか無かったのだ。だが、一方の金髪のお母さんのグループは、まるで違った。自分の思いに正直に反応する彼女は、じつに自然にグループ全体のコーディネイトを努めるのだ。しかも、講演会場の真ん中に車座に座る彼女は、じつは「われわれが、大切にしたい隣人との関係にこそ苦しみ傷つく」ことを(論としてはともかく体験的に)理解している。 つまり、「フルバリューコントラクト」な展開ができるのだ!。徹底的に、関わるすべての人を認めあう「隣人への配慮」が出きるのだ。プログラムの終了後には、その場に居た大半のお母さんたちが、彼女の存在の本当の凄さを理解したと考える。 「エチュード」とは、「学ぶこと」でもあるはずだ。信頼する隣人との関係に、それぞれが、それぞれに関わり認め合いながら、自身が大切に思うことを磨くことでもあるはずだ。 すべてが終了して戻った愛車のそばに、着替えさせてもらった男の子とその母が待っていてくれた。 そして、「今日は、すみませんでした!。」と、涙した!!。
by nature21-plus
| 2009-09-02 00:25
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