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理解に苦しむ!?。。
「hisaisya」を名乗る方から「作ってみた。。しかし余震があって火事をおこし…地震が起きている被災地で火を使うのは二次災害の危険が高いのですね。 普段なら冷静に考えてわかりそうですが家もなくしてパニックなので思考停止していました」とコメントがあったのだけど…。。 まず、震災で「家をなくした者」がロケストを作って「火災をおこす」という矛盾はどう考える?。。また、この方は瓦のロケストを家の中に作った!?。。 さらに、このコメントのIPアドレスを調べたらコメントの発信は、ホスト名が「softbank126085175216.bbtec.net」で、IPアドレス割当てエリアは「福岡県福岡市」。。 ※追記 ちなみに熊本のソフトバンクならホスト名 softbank221077078052.bbtec.net これに福岡在住の友人知人に連絡をとって、今回の地震で福岡で家を無くすほどの罹災者があったかどうか。また、この数日のあいだに、瓦のロケストが原因となった火災があったかどうかを調べてもらったが、これに該当する状況は見当たらないし、考えられないという。。 しかも、燃焼効率は高くてもその火種が小さいロケストは囲炉裏に火を焚くにもにて、燃料の補給をつづけなければ、これがすぐに消えてしまう。つまりは、このコメントをしてきた方の言うような火災になるような状況は考えにくい。 だけに、これをどう考えれば良いのか理解に苦しむ!?。。 しかし、確かに地震が続いている状況に火を使えば二次災害の可能性があるのは事実だろう。。だが、「hisaisya」を名乗って、このコメントを書き込んだ者は、熊本に被災した方々をあまりに馬鹿にしていないか。。 被災した方々は、不幸にも「天災に罹災した」に過ぎず、断じて、「当たりまえの道理を理解できないほどに無能なわけではない」だろうに。。 ともあれ、余震などで瓦のロケストが崩れるようなことがあっては困るのも確かだ。。 だからして。。 2011年03月28日に瓦のロケストの安定性を当時の状況に考えうる限りに検証をしてみた。。これが現在の熊本の状況に参考になるかどうかは解らないが、以下にその検証記事をコピーする。。 ーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーー セメントやモルタルなどをまったく使わず積み重ねただけの「瓦のキッチンストーブ」の安定性を知りたくもあった。また、他に思うこともあって、庭先にこれまでブログに公開してきたレベルに組んだ「瓦のキッチンストーブ」に車をぶつけてみた。 ぶつけた車は四輪駆動車。軽自動車だが、荷重位置が高いオフロード専用の車。これを二メートルほど離れた位置から普通に一速発進させてぶつけてみた。ちなみに、ブレーキはまったく踏んでいない。 結果が、二枚の写真。完全に崩れてしまうかと思っていたが、さにあらず。どうやら、「瓦」ならではの独特の形状が思いの他の強度を発揮して、車は、写真のような状況にエンジンストールして止まった。 しかし…。 この馬鹿げた行為にどれほどの意味があるのか。あるいは、「社会全体が途方もなく大きな「破壊」にこころ痛める最中になんと無神経な」などと、どこやらかお叱りの声が聞こえてくるのかもしれない。 だが、それを承知して、敢えてこのおろかにも見える破壊実験をしてみた。 そしてその理由は二つ。「瓦のキッチンストーブ」の発案した者の責任と、これが造られ使われるだろう状況を想えば、そこに考えうるリスクは徹底して排除されるべきだと考えたからだ。 ともすれば、この記事は「主人公は誰か!われわれは何をなすべきか」などとタイトルすべきだったのかもしれない。 この「瓦のキッチンストーブ」を発案し造るにあたって、おいらは、世の中の常識や(未曾有の大災害の直後に揺らぐ)社会的感情などの一切を無視した。見据えたのは「事実」。これが造られ使われるだろう状況と…。そこに、家族の中心に太陽のようにいるだろう女性たちの立ち位置と、それに連鎖する様々なシーンだ。 そして、もっとも強く意識したのは、その女性たちがこれまでにまったく体験のないツールを前に必ずや抱くだろう「不安」。使えるか?使えないか以前に、そこに幼児を抱きしめ、ときにその手を引いているだろう子育て世代の女性達の不安を取り除かなければ、被災者の方々に利する結果など生まれるわけもない。二十年ちかくを主宰してきた「しまね自然の学校」での体験に学んだものにこれが想われたからだ。 事実を解さない「同情」は、要らぬ「怒り」を生む。そして、その立ち位置が見失われた「怒り」は、本来的に意識されるべき「事実」をも見失わせ、ときにあらぬ方向にスケープゴートを探して混乱に拍車をかける。つまり、「負」の連鎖となって…。 われわれは、脆い。そして、大きな痛みや悲しみを前にすれば、嫌も応もなくその如何に小さいのかに気付くしかないのだろう。しかし、これは「神」とやらの意志なのか。こういう痛みには、なぜか不思議に、隣人を思う強い力が悲しみの涙とともに沸いてくる。。 痛みも悲しみも、そして喜びも…。そのすべてを分かち合い、真摯に努力する「崇高」とでも言うべきものが…。 これもまた「事実」なのだ。 だからして、この「事実」を見失うことなく、そこに被災された方々が直面する「事実」を重ねて考えてみれば「しなければならないこと」や「出来ること」が見えてくる。つまり、そこに常識や世間体など意味のないことだ。 子育て世代の女性達が動けば、そこには必ず幼児がともにいるのだ。未曾有の大災害を生き延びてくれたこの命に微塵も傷など付けてなるものか。だけに、この「瓦のキッチンストーブ」は、かつて人々の暮らしに当たり前に使われた「かまど」レベルに盤石でなければならない。つまり、こうした視点に立てば、被災地に「一斗缶のロケットストーブ」のようにリスクの高いツールは向かないと考えるべきなのだ。 にもかかわらず、おいらが「一斗缶のロケットストーブ」の記事をあげたのは、あくまでロケットストーブという新しい燃焼の理解と体験のためなのだ。もしくは、北海道のように原則、瓦などないところに「事前に準備して置くことが可能なら利することもあるだろう」というレベルの認識に基づくことだ。 だが、この「一斗缶のロケットストーブ」。そのコンパクトなディティールからか、記事がよく読まれず一人歩きをしているようだ。大勢の方が、こちらこそを簡便な災害対策用のストーブとして捉えてしまっているのかもしれない。 しかし、この国は、戦後五十年ほどをかけて「木を焚く文化」を貧しく非文化的なものとして懸命に切り捨ててきた。そして、その結果、「一斗缶のロケットストーブ」の主材料である直角に曲がった煙突の部品など、言うなれば化石にちかく。これは、なかなかに手に入らないに違いない。だけに、これが被災地に持ち込まれる危険も考えにくい。 だが、この情報を公開した者として、そうした誤解に基づくものが、大勢の善意ある人々の被災地を想う思いに水をさすのではないかと懸念する。そして、これがすこし悲しい…。 ともあれ、四輪駆動車をぶつけた結果がこの程度であるなら、避難先の(集会所のような環境など)人ごみの中にこの「瓦のキッチンストーブ」を使って人がぶつかるようなことがあっても、大きなトラブルになることなど考えにくい。つまり、これを使う女性たちが要らぬ不安を抱かずに済むだろう。
by nature21-plus
| 2016-04-20 23:51
| ロケットストーブ
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