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そろそろ両親の齢を越えて六十の半ばがちかい。これに否応もなく自らの「老いの暮らし」を意識する。つまり暮らし方やその生きるべき「場所」とを…。
しかし、子どものころから家人に年老いた者を知らず、その現実や状況のなんたるかを知らない自分がこれを考えるのは存外に難しい。 ならば現実的な状況はさて置いて…。いわゆる古典にその精神性のようなものを探るべきが妥当かなと考えた。 だが凡庸な者が簡単に探せるレベルに「老い」を主題にした古典などあるわけもなくて。大半が、いわゆる「姥捨山伝説」のようなものばかり。しかもそれらにしても、その視点が「捨てる側」にしかなくて「老いた者の側の心象」を感じさせる物語はなかなかにない。気になったのは岩手・遠野の「蓮台野(でんでらの)」ぐらいか。 「姥捨山伝説」の大半が、集落の掟にあらがえず年老いた母をその息子が涙ながらに深い山に捨てる話であるのに比して、遠野のそれは少し違う。年老いた者が集落を離れるという部分は同じだが、その「蓮台野」が集落に連なる丘の上だったり、いまだ体力のある者は里に出て田畑の仕事を手伝うなど、年老いた者の主体性に全てが委ねられる物語には老人たちの「ゆったりとした死」に向かうおおらかな状況が感じられる。 五年前に暮らしの燃料としてのガスを使うことを止め、その全てを昔ながらの「薪火」に変えた。また電気を出きるだけ使わないことを意識し、その寝泊まりも改造した車や、ときに庭先に張ったテントなど。これに最近は、食べることも毎日一度は「野草のサラダ」などと、出来るかぎり「社会負荷の小さな暮らし」を心掛けている。 当然、コンパクトな暮らしには、無駄にお金を使わないで済む愉快もある。 しかし、どうやらこれは…。無自覚にではあるが、自らの「老い」を積極的に受け入れ、これに主体的でありたいという心象に由来するのかも知れない。 次世代の暮らしへの負担を思い、自らの「死生観」の先に「蓮台野」に暮らした伝説の遠野の老人たちに、本来的に「こころ豊かに生きる人々の精神性」が感じられるなどと言えば、誰かにお叱りを受けるだろうか。 ※島根日日新聞コラム原稿 備忘
by nature21-plus
| 2016-03-26 22:00
| 島根日日新聞
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