最新の記事
カテゴリ
全体 焚き火小屋のこと しまね自然の学校 瀟洒なる森の中で Linux design 島根日日新聞 田舎に暮らす 百姓をする女たち 日々雑感&たわごと 野外体験産業研究会 心象をスケッチする 伝える 焚き火小屋に火を熾して nob-san Brötchen ロケットストーブ ノブヒェン窯 ノブフェン募金プロジェクト OLD LENS フォロー中のブログ
登攀工作員日記 フランス存在日記 山瀬山小屋2号奮闘記!と... 楽・遊・学・ビバ人生!! おとうさん! ごはんなに? 染めと織りのある生活を楽... 山の子 田園に豊かに暮らす わざわざのパン+ かるぺ・でぃえむ 向こうの谷に暮らしながら 光と影をおいかけて TSUNAMI募金2 赤... すなおに生きる 木陰のアムゼル2号庵 フランス Bons vi... FC2ブログなど
以前の記事
検索
その他のジャンル
ファン
記事ランキング
ブログジャンル
画像一覧
|
尾崎 放哉 (1885年1月20日 - 1926年4月7日)。季語を含めない自由律俳句の代表的俳人として種田山頭火とならぶ著名な俳人の一人。
旅を続けて句を詠んだ山頭火に対し、放哉は無常観と諧謔性、そして洒脱味に裏打ちされた俳句を作った。性格は偏向的であり、自身が東京帝国大学法学部を出ていながら、他の法学部卒業生を嫌うという矛盾的性格を持ち、酒を飲むとよく暴れ周囲を困らせたという。唯一の句集として、死後、荻原井泉水編『大空〔たいくう〕』(春秋社、1926年6月)があるそうだ。 私はこういうタイプの人物が嫌いだ。 どう言えば良いのか。傍目に見れば「良家のぼんぼんが壊れている」としか思えないようなだらしのない生き方に甘んじて…。しかも、その自らのふがいなさが気になるのか、さながら逃避するかのように酒に溺れ知人や隣人たちに迷惑をかけ続ける。 芸術家でも、いわゆる文化人でもない私は、彼らの芸術性などまったく理解しないし、こういう人物を祭り上げる人々の見識も理解する気になれない。それほどに嫌いな人物の俳句なのだが、最近、この上のない喜びと感謝とともに、こころに浮かべる彼の一首がある。 「いれものがない両手でうける」 放哉が、井泉水の紹介で寺男として暮らした小豆島霊場第五十八番札所西光寺奥の院南郷庵で読んだ一首だそうだ。つまり、近隣の農婦になにか摘みたての野菜でも貰ったのだろう。その素直な喜び感謝とが、じつに心地良く伝わってくる。 そして、これはそのままに、このところの私の幸いな日々そのものなのだ!。今日は、両手にあふれるほどのを「あすっこ」いただいた。 夕刻、地主のおばあさんが、よく手入れされた畑の畝の間を手の中のそれらがこぼれないようにゆっくり歩いてこられる。そして決まって、私の「手を止めてしまって申し訳ない」と言いつつ、その両手にあふれる宝物を嬉しそうに手渡してくれるのだ。 「いれものがない両手でうける」 摘みたての美味しい野菜。そして、この心地良い「善良」という大きなものをいただく喜びと感謝にこの上がない。 こういうときは焚き火小屋の「炉」に火を熾し、丁寧に調理しよう。喜びつつ、感謝しつつ…!。 ※島根日日新聞 コラム原稿
by nature21-plus
| 2016-03-25 22:45
| 島根日日新聞
|
ファン申請 |
||