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一人暮らしだし…。誰かに作ってもらえるわけでもないから、自分で調理しなければ飯がない。
まあ、本来的には、そんなところでしている、おいらの調理。これに、別段、凝ったことをしているつもりも、奇をてらって遊ぶつもりもない。だから、冷やかされると結構照れる。 ただ、料理をするというより、人を遇することがけして嫌いではない。当然、相手にもよりけりだが、真摯に客を遇することはそのままに、自分の当たり前の日常に、襟を正す心地良いときを持つことに他ならないと考えるからだ。 しかし、ここに、いわゆる「一期一会」などと固苦しい屁理屈を持ち出すつもりなどもうとうにない。 われわれは、独り暮らして居れば、嫌も応もなく自らの個性の中に埋没する。簡単に言えば、ときに襟を正すぐらいの緊張する機会を持たなければ、その日常はメリハリを失いその暮らしもまただらしのないものになっていくということ。 感動や感謝するとき。その対象が必ずしも客であるとは限らない。ときにそうした襟を正す機会があれば、孤独なときも思いのほかに心地良いものだ。 訪ねてくれた客とともに浄界に遊び、ささやかな食を楽しんで…。送った後には、ただ独り座して観念する。つまり、これに勝る豊かさなどあるわけもない。 そして、だとするなら、客を遇するとは、そのままに自らこその居場所の心地良さを高める行為に他ならない。 そう考えて、日々の調理も楽しんでする。つまり、客があろうとなかろうと…。 だが、おいらの場合、同じ年代の諸兄よりも一つ恵まれていることがあるかもしれない。 つまり、写真のナイフ。三十代の半ばからナイフメーキングを趣味とした。そして、百数十本を作ったさきに辿り着いたのが、このキッチンナイフ。 正直を言えば、写真のナイフは、いまだプロトタイプ。ブレードの厚みやグリップの角度などなど、微調整をしながら遊んでいるレベル。 だが、今後にこうしたナイフを作るつもりもない。だから、これは完全においらだけのオリジナルなナイフ。 ともあれ、自分の手に馴染んだ道具があって、それを自在に使うことが出来れば、どんな「作ること」でも楽しいものだ。そして、その「作ること」が、訪ねてくれる友人たちに喜んでもらえることならさらにである。 つまり、おいらの場合、調理をするとは思いの他に心地良いことなのだ。
by nature21-plus
| 2010-09-16 22:43
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