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ゴム長が破れて、石積みの壁のためにヴェロニカの会のメンバーが山から掘り出してきてくれた泥だらけの石を、いつものように川に入って洗えない。
素足になればと思わなくもないが、いまだ水温むとは言い難い季節にそれもすこし辛い。 外流しのところまで運んでこれを洗えば、今度は、そこら中が泥だらけ。川で洗うなら、単純に水の中でタワシでゴシゴシするだけで済むことが、ゴムホースを用意したり、あと片付けをしなければならなかったり。 石を洗いながら考えた。 便利とは、なんと不便なことかと!。 現在、作業を進めている石積みの「壁」にしてもそうだ。かつて、人々は、裏の山から切り出した杉や桧を製材して柱にした。これに竹を割いた木舞をかいて泥土を塗って壁としたのだろう。その仕上げに漆喰などを使えばそこに専門的な知識や技術を持った者が必要になる。しかし、基本的には、どこにでもある素材を使って、誰でもが出きるようにその技術や作業環境は整備洗練されてきたのだろう。 確かに、ときどきに大工や左官棟梁などが差配をしたに違いない。だが、かつて農山村の暮らしに家など、家族総出で作るものだった時代があったに違いない。当然、向こう三軒両隣などというレベルに、共同・協力しあう状況も地域内にあったろう。しかし、だからこそ、そこに必要な技術は、どこでも出来て誰でもが出来るレベルが選択され、これが洗練させられて来たのではないだろうか。 何事かをするに、どこか特別な場所でなければならなかったり、なにか特殊な道具や技術が必要だったりすれば、ここに共同と協調の平等な関係を意識・維持するのはなかなかに難しい。しかし、農山村のように、その風景や風土など自然環境に関わり深く人々が暮らし生きるに、共同と協調の平等な関係やその維持は必要にして不可欠であったはずだ。 山から、一つひとつ石を掘り出してくること。それを小川のせせらぎに、皆でワイワイお喋りしながら泥を落とす。モルタルを練って、これを並べて積み上げていく。 気付いてみれば、ここにはつまらない便利も特殊な道具も入る余地がない。にもかかわらず、支え合いや助け合いなど、本来的に人が自律して生きるにもっとも大切なツールがあれば、その作業結果のクオリィティーは一段と高くなる。しかも、女性や小さな子供たちまでもが十分に関わることが出きるのだ!。 どうやら、些細な便利の選択とは、人々の豊かに生きる本来的な質こそを落としてしまう不便なものであるようだ。 ゴム長を脱ぎ捨て、思い切って、春の日差しに光りきらめく水面に飛び込んでみた。 うん!確かに季節は水温む春だった。 ※ ちなみに、現在、焚き火小屋に行なっている石積み壁を作る作業も、わたし一人でしているわけではない。山から石を運んでくれるヴェロニカの会のメンバー。必要な建築資材を用意してくれる自然の学校の仲間たちなど。つまり、共同し強調する多くの仲間や隣人達との関わりにその作業は進められている。昨夜の不愉快な人物の来訪などに思うところあってここに明記する。
by nature21-plus
| 2010-04-14 20:05
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