最新の記事
カテゴリ
全体 焚き火小屋のこと しまね自然の学校 瀟洒なる森の中で Linux design 島根日日新聞 田舎に暮らす 百姓をする女たち 日々雑感&たわごと 野外体験産業研究会 心象をスケッチする 伝える 焚き火小屋に火を熾して nob-san Brötchen ロケットストーブ ノブヒェン窯 ノブフェン募金プロジェクト OLD LENS フォロー中のブログ
登攀工作員日記 フランス存在日記 山瀬山小屋2号奮闘記!と... 楽・遊・学・ビバ人生!! おとうさん! ごはんなに? 染めと織りのある生活を楽... 山の子 田園に豊かに暮らす わざわざのパン+ かるぺ・でぃえむ 向こうの谷に暮らしながら 光と影をおいかけて TSUNAMI募金2 赤... すなおに生きる 木陰のアムゼル2号庵 フランス Bons vi... FC2ブログなど
以前の記事
検索
その他のジャンル
ファン
記事ランキング
ブログジャンル
画像一覧
|
たまには煤だらけのヤカンで淹れた番茶が飲みたいなと、焚き火小屋の炉に火を焚いた。ここに客があって、茶菓子でもと思って探すが適当なものが見当たらない。
なにか作るかと冷蔵庫をあされば、到来ものの「蕪」の菊花漬けが残っていた。「まあ、番茶だし…!」と、これを出せば、「なんと贅沢なことを…!」と大喜びされる。 たしかに、知人に頼んで送ってもらった菊花漬けは、十分に喜ぶに値する。しかし、その他のシチュエーションはどうなのだろう。世の中のいまの時代の当たり前を意識すれば、寒いシーズンに暖房もなく、吹きさらしにちかい焚き火小屋に小さなほむらがあるに過ぎなくて…。 石油ストーブなどの暖房器具を使わないのは、まったく個人的な思いによるものだ。だけに、そこにどんな理念や思惑があろうと、これを知人や友人達に押し付けるつもりなどもうとうにない。だが、客があったからと、その度ごとにそれらを使えば、その思いの意義が失われるのだろう。なぜなら、「客がある」ことも、わたし自身の暮らしの一部であるはずだからだ。 しかし、現実には、この押し付けにもちかいシチュエーションに、ただただ申し訳なく思うのだ。にもかかわらず、この客の喜びようはなんだろうと考えさせられる。 ストーブをガンガン焚いた暖かい部屋で、いつものように珈琲がでて、その上に漬物が出てきたなら、たぶん、この反応は、大きく違ったものになるのだろう。では、それは「珍しくもないこと」だからか。たぶんにそれもはあるのだろうが、じつにそれだけのことなのだろうか。 どうにも、これが、すこし違うような気がするのだ。 辛いぐらいの寒い状況に、われわれはその内的ななにかを刺激され、ここに関わる隣人たちの気遣いや優しさ、思いやりといったことに鋭敏になるのではないだろうか。つまり、この客の喜びようは、ある種、極限的な状況に、われわれの誰でもが持つ「生きるためのセンス」のようなものが反応した結果だと捉えること出来るのではないだろうか。 たかが、焚き火小屋での些細なことに「なにをオーバーな…!」と考えないこともない。しかし、二度の冬をこうした状況に過ごして、何度となく同じ体験をして、そこに意識される思いなのだ。 数日前、ある知人のブログに「頼む!薪ストーブよ!早く家を暖めてくれ…!。」という一文を見つけた。知人は、美しい山あいの集落に家族五人で暮らす、三人の可愛い子どもたちの母である。大雪の中、アルバイト先から戻って、冷えきった我が家の薪ストーブに火を焚いて…。その刹那の家族を想う「母としての切実な思い」であるのだろう。 美しい「母の言葉だ!」と思えた。また、これを大変ここち良く読んだ!。 そして、ふと思えたことが、なぜゆえ、自分はこの知人の言葉にここち良いものを感じさせられるのだろうということだった。 都市に暮らして、冬でも部屋の中ではTシャツ一枚で過ごしていた時代なら、この知人の言葉に「ああ、大変だろうな…!」ぐらいを感じただけだろう。ともすれば、「そんな田舎を望んだ自業自得…!」と、あざわらうかのように読んだかもしれない。だけに、その言葉に「母の優しさ!」など意識のしようもなかったに違いない。 つまり、それを感じることが出来たのは、現在、自らが、ともすれば歯の根も合わないほどの寒さの中に暮らすからに他ならないと思えたのだ。しかし、だからと言ってそれは、いわゆる「共感」するというレベルのことではない。 いわゆるパーソナリティーというレベルの認識には、どうにも腑に落ちないことが、ある種、極限的な状況にいるときのわれわれに本来的に宿る力を意識して、はじめて理解できた気がするのだ。 つまり、われわれは、あるレベルの緊張の中にいるとき、自らが生きるに必要ななにかに鋭敏にいられるようだと…。しかも、それらは、ときにその対人関係上のスキルに、この上なく重要な要素であるのかも知れないと…。 だとすれば、われわれはその暮らしに誰かがデザインした些細な便利を手に入れることに、すこし注意を払うべきであるのかも知れない。 つまり、自らの本当の豊かさを見逃さないために…。 しかし、今夜は冷える!。 幾重にも重ね着をすれば我慢できない寒さではないが、キーボードを叩く指先が痛いくらいに冷たい。だが、それだけのためにストーブを点ける気にはならないし…。 なんとかならないかと見渡せば、目の前に、クリップ式のスポットを屋根裏部屋に合わせて改良したアッパーライトが目に付いた。ハロゲンランプに変えてあったモーガル部分を白熱球用のそれに変え、これをパソコンディスクの足に取り付けてみた。 直視すれば眩しすぎるが、自由自在に動く、笑えてしまうぐらいに便利な「手あぶり」が出来てしまった。 考えれば、灯体が白熱球なのだから当たり前のことなのだ。しかも、自分は、かつてこのジャンルのプロだったリする。にもかかわらず、なぜに、いままでこれに気付かなかったのだろう。 つまり、「既成概念に縛られる」とは、こういうことか…!。
by nature21-plus
| 2010-01-15 23:41
| 田舎に暮らす
|
ファン申請 |
||