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飲まず食わずに一日を過ごした。
これが最近ままにある。しかし、けして、食べるものがないからなどではない。白菜、大根、ながねぎ、たまねぎ、じゃがいも、かぼちゃ…。 冷蔵庫の中には、魚やお肉、たまごに牛乳など、食べるものは、とても一人暮らしには食べきれないほどにある。 また、けして食欲がないわけでもない。終日、目が回るほどにお腹が空いていた。 それが、一体いつ頃のことだったかなど覚えてもいない。また、なぜなのかもわからないが、なぜか若い時代には、お腹が空くだけで奇妙に苛立った!。そして、その苛立ちのさきの自らの「凶暴」に、虚しい反省を強いられることこともままにあった。 これに「体質」なのか!? それとも、そういう個性なのかと、誰に相談するわけでもなく一人真剣に悩んだことを思い出す。 食べることが出来る。もしくは「食べるモノがある」とは、その命の維持のためという理解を越えて、たぶん人の生きるに大きく関わるのだろう。 生涯身を立つるにものうく 騰騰として天真に任す 嚢中三升の米 炉辺一束の薪 誰か問わん迷悟の跡 何ぞ知らん名利の塵 夜雨草庵の裡 双脚等閑に伸ばす あの良寛にして、乞食に得た頭陀袋の中の「三升の米」を拠り所にして、「迷いとか悟りとかにこだわることもなく、名誉とか損得とかも考えない。雨の夜には草庵の中で、両足を伸ばし、のんびりとしている」と言うのだ。だけに、凡の凡夫たるわれわれが、食べることに、食べられることに、一喜一憂するのは、しごく当然とも言うべきことであるのだろう。 だが、ここ数日の、わたしの飲まず食わずは、そうしたことに理解することとはすこしちがうのだ。なんと言うべきか。つまり「空腹がここち良い」のだ!。 当然、歯の根も合わないようなレベルの「空腹感」がある。じつに両手の甲が痺れるような皮膚感覚まで伴う「空腹感」があるのだけれど…。これが、なんとも心地良いのだ!。 神経が穏やかに静まるというか。もしくは、意識がだんだん透明になっていく気がするというべきか。ともあれ、そうしたある種の至福感の中に自分の意識を浮遊させるような心地良さに、この空腹感を楽しんでいると言うべきが正直なところなのだ。 そして、慣れるとはどうにもお凄い! そうした遊びにも似たことを繰り替えしているうちに、食べる量がどんどん少なくなってきた。 写真は、さすがに一食ぐらいは真面目に食べなければ不味いだろうと作った、今日の夕食である。 おばあさんの畑からいただいてきた大根を、冷蔵庫にあった豚肉とともに小さな火にかけてゆっくり炊いて、これに大根の葉を刻んだモノと、残り物のえのき茸と鯖の切り身を後から入れて火が通るまで炊いただけの簡単な料理である。 考えれば、たぶん600キロカロリーも無いのかも知れない。しかし、これがじつに美味しいのだ!。 最後の仕上げに生醤油を数滴落とし、柚子の皮を千切りにして入れただけなのだが、これが言葉にならないほどに美味いのだ。 まったく、「五臓六腑に染み渡る」とはこのことかと思えるほどに豊かな気分に満たされる。 当然、おばあさんの大根は美味しいに決まっている。また、そのシンプルな調理にも意味することがあるのだろうか。しかし、これは、どうにも「飲まず食わず」という危機体験に反応して、鋭敏になった感覚のもたらすある意味「快楽」と言えるものであるのかも知れない。
by nature21-plus
| 2009-12-08 00:00
| 日々雑感&たわごと
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