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憧れの「ターザン」ごっこ…。
こんな台詞を口にしても、現代の子どもたちに通じるわけなどない。そしてこれは、ある意味、冒険学校とも言うべき「しまね自然の学校」の子どもたちでも同じことだ。 そう! いまどき「ターザン」のことなど、親の世代であっても知らなくて当然だろう。そろそろ60歳がちかい、わたしですら、そのおぼろげなモノクロの映像の記憶が、子どもの頃のいつのものなのかはっきりしないぐらいなのだから…。 調べてみれば、この映画はエルモ・リンカーンという俳優が主演したサイレント映画『ターザン』(1918年)を最初に、テレビ番組もふくめれば、驚いたことに50本ちかくも作られている。ちなみに、この中でもっとも有名な作品が、ジョニー・ワイズミュラー(1924年のパリ・オリンピックの競泳男子400m自由形のゴールドメダリスト)の主演した『類人猿ターザン』(1932年)なのだそうだ。 まあ、しかし、映画の詳細などはどうでもよいことだ。たしかなことは、テレビが普及しはじめた時代に育った戦後世代の子どもらは、その野山の遊びに、親にないしょに持ち出した風呂敷をマントに「黄金バット」になりきるか。それとも、このワイズミュラーを真似て、藤蔓にぶら下がりながら吠えたのである。 ここで、弁明などするつもりはないが、わたしはながくクライミングをライフワークとしてきた。つまり、それは「ロープを持って山に入ること」である。しかも、自然の学校の主だったスタッフは、最近とみに高齢化が進んでいる。 にもかかわらずと言うべきか。山に入って手ごろな枝ぶりの大木を見つけると、ジジイどもは、「昔とった杵柄」がとてもうずうずとするらしい。そして、そこに対荷重3トンほどの、まったく「ターザンごっこ」に打ってつけのクライミングロープが用意されているのだ。 畢竟、子どもたちの素敵な体験教育を口実に、まずはジジイどもが夢中になる。 そして、面白いものである。しばらく他人ごとのように横目に観ていた子どもたちが、30分もしないうちに、「飛びたくて、飛びたくて…!」目を輝かして寄ってくる。 こうなればしめたものである。つまり、大人に逆らう、子どもたちなどいなくなる。 子どもの育ちの支援のための事業(もしくは活動も…)とは、子どもたちこそが主人公であることを忘れてはならない。だが、そのプログラムに「ここでは誰が、ボスか!」と言うことを子どもたちに伝えるべきはさらに大切なことであるのだ。 ときに目にしたり、耳もにする。いわゆるボランティアの青年が、小生意気なガキを相手に「今日は、お兄さんのことを○○太と呼んでね!」などと、媚びているとしか思えないシーンをである。 じつに、これは野外での活動などを主とした体験教育事業であるならときに危険なことである。 教育事業とは、けして皆で「楽しくする!。できる…。」ことがテーマなどではない。そのプログラムに関わった(これは大人であろうと、また子どもであろうと…)すべての人が、用意されたプログラムによって「なにごとかを感じること」である。とりわけ、隣人との「他者との関わり」になにごとかを感じることである。つまり、それは「感情」を伴うことであると言っても過言ではないはずだ。 そして、だとするならその「感情」にもとづくものが、必ずしも、心地良いことだけではない場合もあるのだろう。だけに、そのデザインされるプログラムには、インターロック(電気的な自動制御の用語。緊急時にそのシステムを自動停止させるためのデザインというべきか。他に適当な言葉を知らないので、わたしこれをここに使う。)できるシステムの構築が是が非でも必要なのだ。 つまり、冒険の中にいる子どもたちには、ときに頼りになる「ボス」の前で、大泣きに泣くことが可能な状況も用意されるべきなのである。 こういう理解をしてみれば、子どもたちに「誰が、ボスなのか!」を伝えることとは、彼らに逃げる場所を用意することに他ならないのだ。つまり、こうしたことを理解せず、これをかえって解りにくくする言動は、メンタルな状況もふくめてある意味冒険的なリスクを伴う体験教育環境に、断じてあってはならないことなのである。 つまり、善意にあふれるボランティアの好青年は、「子どもたちと仲良くする」ことに捉われすぎて、その本質というべき大切なことを見失うようだ。 もっとも、その「誰がボスか!」を伝えるためのそれが、いわゆる「体育会系」の社会のそれのように力づくであってはならないことだが…。 ともあれ、誰にでもできて、誰もが楽しくて、最高に面白いことこそが人と人との関係に豊かなものを作るにベストである。そして、何もかも忘れて夢中になれることの如何に素晴らしいことであるのか。 つまり、昨日の日曜日、しまね自然の学校の子どもらは、加茂町東谷の「子どもの森」で 終日、「ターザンごっっこ」に遊んだのだ。
by nature21-plus
| 2009-11-30 00:00
| しまね自然の学校
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