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人の生きるに、最低限、欠くべからざるものをあげてみれば「水」と「食べ物」と「燃料」ということになるだろうか。そして、これを「人々の暮らしのために」と言い換えれば、それらのすべてがそろう「場所」と言うことになる。
考えてみれば、どうにも信じられない話である。いわゆる中山間地域の過疎の問題や、里山をはじめとするや農山村風景の荒廃がである。 出雲風土記に「五群の民、この河に添いて住めり…」とある。つまり、斐伊川流域の河岸段丘を歩けば、人々は、はるかに縄文の昔からこの豊かな「場所」に生きてきたはずなのだ。 一体、近代に文化とは何なのだ!?。 すべての人々が互いを認め合い、支え合い、その自律した暮らしを可能にしていた文化がわずかな時間に完全に消滅させられたしまった。つまり、その結果として「過疎」や「農山村の荒廃する風景」があるんだろう。 いや! どうにも「見失われたもの」とは、それだけに止まらない。 火吹き竹を使う、わずか三歳に満たない少年とそれを手助けする若いお母さん…。このシーンに微笑ましいものを感じつつ眺めることが出来る人々が、現在のこの国にどれほどいるのだろうか。また、ここに、どれほどに大切なものがあるのかを正確に言葉にできる人々はどうだろう。 キーワードは「我が子」であり「家族」であり、また「次世代の育ち」であるのだろう。 イヴァン・イリイチによれば、近代の産業主義的認識の中で、この人々の「生きる」に、この上なく大切なものが、つまり「シャドーワーク」という認識の中に封じこめられる。つまり「賃金は支払われないが、社会の発展のための産業主義的生産性の向上に必要な家事労働の中にくくられ」いわゆる「専業主婦」のするべき仕事としてである かつて、人々の暮らしが美しい風景や風土との関わりに満ちて、「水」と「食べ物」と「燃料」とを、そこに求めることが「暮らし」であった豊かな時代に「専業主婦」などという概念は、断じて、存在しないのだ。 近代とは、「労働」という言葉の意味を履き違え、「経済」という道具の機能を過信しすぎてしまったようだ。否、誰かによって「過信させられて!」しまったと考えるべきかも知れない。まったく、馬鹿げた話ではあるが…。 われわれは、注意して見るべきだ!。 大テーブルに自分の食べるパン生地を自ら捏ねる子どもたちと、その支援する母親たちとの位置関係をである。また、それらのすべてを差配する女性のいかに生き生きと美しいことかを…。 まずは、大テーブルの「高さ」の意味することに目を見張るべきなのだ!。 幼い子どもたちのためのプログラムの前日に、「子どもたちが、自分でパン生地を捏ねることが出きるようにテーブルの足を切ってください。」と、その差配する女性が言ってきたのだが、つまり、これはむちゃな話であるだろうか。 子どもたちの育ちが、社会の産業主義的な生産性の向上のまえに、いわゆる「シャドーワーク」などという概念の中にくくれる程度のことなのだとしたら、たしかに無茶な話であるのかも知れない。しかし、彼女は、たしかにそう言ったのだ。 広い板張りの台所に、母に支えられたボールの中に、自らがパン生地を捏ねた経験に基づくものであるのかも知れない。ともあれ、彼女が想定したものは、人々が自律し、協同・協調した、かつての人々の「我が家の暮らし」に、たしかにあったものである。 幼い子どもたちの育ちの支援に、その「確かな記憶」こそが正しいのだと信じた彼女は、強くたくましく、美しい母である。 そして、その「確かな記憶」は、関わるすべての母たちに歪むことのない事実こそを伝えていくようだ。しかも、それは、ある種の安らぎにも似た心地良いものを伴って…。 つまり、この「専業主婦」という偽りと欺瞞に満ちた言葉こそが、この正しさと本当の豊かさの前に揺るがない女性たちの美しさと、この国の底辺を支え続けてきた凄さとを、近代という時代に見失わせたのだ。 家族とともに「我が家」を紡ぐ母であり、まな板と包丁を持ち寄って、地域社会を支えてきた女性たちの存在こそを、いま、この国は懸命に取り戻す努力をするべきだ。また、その手の中に、子どもたちの育ちは「生きる力」を育むために、返されるべきなのだ!。 こうした女性たちが農山村の美しい風景の中にあるうちにだ!。
by nature21-plus
| 2009-11-27 00:01
| 百姓をする女たち
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