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言葉であれ、かたちあるものであれ、なにかをきっかけに漠然と脳裏に浮かぶもの…。これを、いわゆる「キーワード」と捉えることが出きるのなら、それが、そのまま様々な記憶に連鎖することがうなずける。
「…蝉しぐれの鎮守の森で、半ば悔恨の中に怯えていた。マサオは、得意満面を装っているが、本当のところ、彼も後悔しているのだとその落ち着かない素振りが物語っている。子どもたちが拳骨ジジイとあだ名を付けた近所の口うるさい爺さんに一泡吹かせようと「西瓜泥棒」を計画したのは彼だった。そして、ことは成就した。…寡黙になったマサオが、ポケットからボロ布に包まれた「肥後守」を取り出した。その刃先が少し入ったせつな、西瓜は、その場にいた子どもたちの心を見透かしていたかのように、音立ててはじけた。…」 「肥後守」という小さなナイフを手にするときに、わたしが脳裏に浮かべる子どもの頃の風景の断片というべきものである。 そして、この断片は、じつに様々に更なる記憶に連鎖する。 「…野山に遊ぶとき、肥後守とマッチを持ったマサオは、天才だった。食べるものや遊びの道具を、仲間たちの望むモノの大半を彼はこの二つのツールを使って生み出してしまった。島根への転居を考えた当時、このマサオのことをよく思い出した。すこし正確に言えば、マサオのたくましさとスキルと、あの肥後守のことを考えたのだ。…」 その連鎖は、「マサオ」のたくましさの記憶のさきに、自らが「生きる」に必要なものまでを思わせるのだ。 また、数日前、このブログに「月譜」と題した小さな記事を書いたのだが、じつを言えば、この記事も「肥後守」の連鎖のさきにある。 大町桂月のそれをはじめて読んだときに、文中の「…仰げば隈なき一輪の月魄、天つ御神のにらみたまふかと思はれて、そゞろに身の毛よだち、穴あらばとばかりに身をちゞめて、月を拝みてぞ泣きし。…」という部分に、自身の心の中のなにかが感応するものを感じた。それに、「これは、なんだ…!?。」と言う自らに問いかけた思いに「蝉しぐれの鎮守の森」にいた子どもの頃の風景が重なるのだ。 あの時代の「…「百姓の息子たち」は、父や母や、おじじやばっぱが、丹精をこめて作物を育てる田畑を荒らすことの意味をよく知っていた。…」とは、当時の子どもたちが農業や農作物に対して当たり前に持っていた倫理観の比喩である。つまり、桂月の文章は、自分が子どもの頃に「蝉しぐれの鎮守の森」に体験として理解し当たり前に持っていたこの倫理観に連鎖したのである。 錆びついてボロボロになった「肥後守」が届いた。 群馬の鬼石町の山中に古い民家を手に入れ、それを改修しながら暮らす知人と電話で話したときに「ああ、そう言えば…!」と話題になったものである。 民家の廃墟と化した物置を片付けていて見付けたという。錆びがひどくてなす術もなく、捨てようかなとも考えたのだそうだが、わたしのナイフメーキングを思いだして「なんとかしろ!。」と送ってきたのだ。 壊すつもりでヒンジのピンを抜いて、しばらくオイルに漬けて置いたら分解することが出来た。これを、ざらっと錆を落して研ぎ出してみたら、以外にもまだ原型を保っていた。しかし、ブレードの状況を考えれば、丁寧に手入れをされてではあるが相当に使い込まれていたらしい。 「肥後守」は、金属板をプレスで抜いた武骨なグリップに、軟鉄に刃物鋼を割り込んだ両刃(ダブルブレードという意味ではない)が一般的である。いわゆるフォールディングするナイフだがロック機構はない。「チキリ」と呼ばれる部分を親指で押さえて使用する。 このナイフの製造が始まったのは、驚いたことに1890年代だそうだ。単純な構造のため安価に製造出来ることや、壊れやすい所が無いためにながく使用出来ることから、近代の日本を代表するフォールディングナイフとして愛用されたようだ。1950年代後半ごろからは、いわゆる「筆入れ」の中の文房具の一つとして、子どもたちにも行き渡ったのだそうだ。だが、これが、鉛筆削り器やカッターナイフの普及のほか、1960年10月12日の「浅沼稲次郎暗殺事件」を契機に日本全国に拡がった「刃物を持たない運動」などに押されて姿を消した。 なんだか、自分の子どもの頃を研ぎ出すような、なんとも不思議に懐かしいモノを手直ししたような気がする。そして、研ぎ出した「肥後守」に、嬉しそうな「マサオ」の顔と、あの「鎮守の森」の風景がダブった気がした!。
by nature21-plus
| 2009-10-21 00:00
| 日々雑感&たわごと
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