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思うところあって、今日は、焚き火小屋に一日を過ごした。なんとも心地良い秋の日だった!。吹き抜ける風に運ばれる気配は、上津ならではの静かな秋こそを纏いはじめたかのように爽やかだった。
なにごとか、もの思うとき、わたしは、閉じ込められる環境がどうにも苦手だ。できたら、眩暈を覚えるような光りの中で、しかも、できるだけ大きな空間に「もの思うこと…!」が好きなのだ。しかし、にもかかわらず、なにかを深く考えなければならないときには、すこし暗く、息苦しいくらいに狭い場所でなければことが進まない。 我ながら、厄介な性格をしているとは思うのだが、これになす術もない。 なぜ、そうなったかについて考えてもあまり意味などないのだろう。だが、たぶん、もの想うそれは、10代の半ばからライフワークとした山との関わりに育まれたのだと思う。森の中や、白い花崗岩の頂きに一人過ごすことが好きだったし…。ときに、目も眩むような残照に我に返って、下山することも出来ずに、そのままビバークしたなどという馬鹿げたことが何度もあった。 また、狭い「考える場所」が必要なわけは、本業とした仕事のせいだと言えそうだ。電気工事である。ジャンルから言えば「電気計装」という仕事のなかに、図面を片手に「自動制御盤に首を突っ込んで…!。」過ごした時間がもっともおおい。あるときなどは、出張先の工場の巨大な製造ラインの制御盤の前に腰を据えて、ほぼ半月ものあいだ身動きも出来ずに過ごしたこともあった。ライン全体の動きをチェックしながら、自動運転の制御回路の調整に終日を過ごすわけだが、これがときに半月も続くのだ。 ともあれ、こうした体験に育んだ自分をときにずいぶん持てあました。つまり「当たり前の住宅に暮らすこと」が、どうにも苦手になってしまっていたのだ。 なにを「馬鹿な…!。」と思われるかも知れないが、これが事実なのだ。 だけに、ツェルト一つでよく野宿をした。ちなみに、これはキャンプというレベルのことではない。仕事のあとに自宅に戻るのではなくて、その足で、都市近郊の岩場に出かけクライミング三昧の時間を過ごし、そのまま朝まで寝てしまうというレベルのことなのだ。そして、こうしたことが、週のうちに3日はあった。 30代に入って、まわりからの勧めもあって電気工事の自営をはじめてからも、これにあまり変化はない。ただ、その仕事がら(全国に出張することがおおかった…!)さすがに、ツェルトでの野宿というわけにもいかなくなってキャンピングカーを自作した。1tあまりの低床ロングのトラックを手に入れ、これをベースに乗車定員2名・就寝定員2名のキャンピングカーに改造したのだが、北海道から鹿児島までを4年ほどのあいだに10万キロぐらいをこの車で出張したり、旅をしたりしたろうか。ここに過ごした時間はずいぶんおおい。 考えてみれば、こうしたライフスタイルをながく続けて都市の当たり前の暮らしが苦痛になったことが、自分が「田舎に暮らす」ことを選択した大きな理由でもあるのかも知れない。当然、山に、仕事に、全国を旅して出会った地域のさまざまな文化や暮らしに…。そして、さまざまな美しい感動に触発されたことも事実なのだが…。 そして、願ったように「焚き火小屋」という理想的な環境を手にすることが出来た。 だけに、ここには「我慢」も「妥協」もまったくない。 当然、既存の住宅の概念もだ!。 しかし、別段、なにかにこだわったわけでは無い。この上津という場所に違和感のない素材を意識したら、天井まで積み上げた薪の壁や、大勢の仲間たちとともに、その土を作ることからはじめた美しい土壁が当たり前に生まれでた。正直を言えば、ここは建築であるかどうかも疑わしい。しかし、ここを訪ねてくれる大勢の人々とともに、ここにこそ在る「心地良いモノ」を感じるために、考えられる限りのシーンとシチュエーションを意識した。 結果、嬉しいことに、地元の子育て世代のお母さんたちのグループ「『田園に豊かに暮らす』を考える女性の会(通称名:ベロニカの会)」のように、焚き火小屋に、上津の「田園環境のあらたな可能性」を感じて、さまざまな活動をはじめる関わりも育ってきた。そして、彼女たちが、先月22日に主催した「焚き火小屋でゴスペルを…!。」などは、さらにその先の人々との出会いやあらたな関わりをも生みはじめている。 自分の理想が、すべての人のベストだなどと考えるわけではない。しかし、しまね自然の学校や野外体験産業研究会や、さきにあげた「ベロニカの会」など、ここを拠点に活動する団体との関わりに理解した現代社会のさまざまな課題について考えれば、多くの人々にここを体験してほしいと思えるのだ。 ときに「非常識」とも思える自らが続けてきたライフスタイルを振り返って考えるにすぎない。だが、思えるのだ!。われわれの時代は、理解したつもりで「知らずにあきらめる」ことが、あまりにも多いのではないのかと…。 焚き火小屋には、珍しいモノなどなにもない。しかし、同時に、ここには「あきらめる」ということもまったくないのだ。あきらめることは、自らを信じることや努力する心地良さを否定する「馬鹿げたこと」だと思うからだ。また、あきらめる人は気付かず、我が子や隣人にまで「あきらめることを強いる」のではないかと考えもするのだ。 「失敗を恐れて…!」、もしくは「なにかが足りないから…!」と、あきらめるのか…。 失敗を受け入れられないことの方が、悲しいことだと思えるのだ。また、足りないことが感じられるのなら、それは「足りないものに気が付いた…!」と言うことではないのか!。 だから、あきらめることなど「馬鹿げたことだ」と思いたいのだ!。 焚き火小屋では、子どもたちの育ちに学んだこうした思いこそを大切にしているのだ。結果として、上津の美しい田園風景の中に、「田舎ならでは」の本当の豊かさを感じられる可能性が芽吹きはじめた。これこそを、持続可能な未来のために…。いやいや、われわれ自身の「本当の豊かな暮らし」のためにこそ、大勢の人々に感じてほしいと思うのだ。 やわらかな陽光がふりそそぎ、吹き抜ける風が上津ならではの美しい小さな秋を運んでくれる。 もの思うでもなく…。 なにごとかを考えるわけでもなく…。 小さな秋を感じながら静かな心地良い一日を過ごした。
by nature21-plus
| 2009-09-06 00:00
| 焚き火小屋のこと
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